栂尾明恵上人伝記 40 戲れの窓をも月は進むらんすます友には暗き夜はこそ
同じ比(ころ)、峯の禪室に入りて坐禪す。曉に及び、定を出でて緣の邊(ほとり)に佇(たゝず)み立つに、松風朗月(らうげつ)此の峰にのみ限らじなれども、人しれず獨り詠(なが)めて、
月影は何れの山とわかじかど澄ます峯にや澄みまさるらん
同じ比、月の末に、禪室より出でて欄干(らんかん)にたゝずむに曇れる空の闇深くして、都(すべ)て星も見えず又風の音もせず。風月の情けは狂言綺語の友ともなり、遊戲放逸の媒(なかだち)ともなる。然れども、幽閑限りなき山中に身を宿(やど)すには、すめる心の外は風月も友に非ず。亦、正しく繩床(しようしやう)に踵(あなうら)を結べる間は、眼(まなこ)に色を見ず、心空しく境寂(しづま)りぬれば、風月の興(きやう)も唯立ち出でたる時の假(かり)の事なり。去れば暗々たるくらき闇の歌枕にも非ず、遊戲の便(たより)にもなし。深き谷を直下したれば邊(ほとり)も覺えず、梢(こずゑ)も見えざる闇は中々心澄みて覺ゆれば、
戲れの窓をも月は進むらんすます友には暗き夜はこそ
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