栂尾明恵上人伝記 41 峰の嵐に諸一切種と上げたれば谷より告ぐる入逢の鐘
或る日、華宮殿の緣の畔に經行(きんひん)するに、三密の行法一理の坐禪、共に皆佛法の玄底(げんてい)なり。人と齊(ひと)しからずとも、志の行く處人界の思ひ出でと覺ゆるに、我が大師釋尊染汚(ぜんま)・不染汚(ふぜんま)二種の無知を斷じて、衆生の爲に如理(により)の正法を授けて生死の泥(でい)を出し給ふ。三德圓滿の功德有便(いみじく)思ひ知らるゝ次(ついで)に、昔稚(をさな)かりし時暗に誦せし倶舍頭(ぐしやじゆ)の始に、如來の智・斷・恩の三德を説けるを、晝夜其の文を誦し其の義を學びて、今此の大乘甚深の妙門に入るまで年を積ること哀(あはれ)に覺えて、次に、諸一切種諸冥滅と上げたれば、高くかけつくりたる谷より、入逢(いりあひ)の鐘の聲とりあへず聞ゆれば
峰の嵐に諸一切種と上げたれば谷より告ぐる入逢の鐘
後日に人語りて云はく、爲兼卿此の歌を讚(ほめ)て云はく、是こそうるはしき歌にてあれ。歌の手本にすべし。先賢もかく讀めとこそ教へ給ひしか。當世よりすぢりたる物は、皆本意を失へりと嘆き給ひけり。
[やぶちゃん注:「當世よりすぢりたる物」「すぢる」は「筋る」(名詞「筋」の動詞化)で体を捩じり、くねらせる、の意で、昨今のやたらと捻くり回したような和歌は、の意である。]