白梅に明くる夜ばかりとなりにけり 蕪村 萩原朔太郎 (評釈)
白梅に明くる夜ばかりとなりにけり
天明三年、蕪村臨終の直前に詠じた句で、彼の最後の絕筆となつたものである。白々とした黎明の空氣の中で、夢のやうに漂つて居る梅の氣あひが感じられる。全體に縹渺とした詩境であつて、英國の詩人イエーツらが狙つた所謂「象徴」の詩境とも、どこか共通のものが感じられる。しかしかうした句は、印象の直截鮮明を尊ぶ蕪村として、從來の句に見られなかつた異例である。且つどこかスタイルがちがつて居り、句の心境にも芭蕉風の靜寂な主觀が隱見して居る。けだし晩年の蕪村は、この句によって一の新しい飛躍をしたのである。もしこれが最後の絕筆でなかつたならば、更生の蕪村は別趣の風貌を帶びたか知れない。おそらく彼は、心境の靜寂さにおいて芭蕉に近づき、全體としての藝術を、近代の象徴詩に近く發展させたか知れないのである。そしてこの臆測は、蕪村の俳句や長詩に見られる、その超時代的の珍しい新感覺――それは現代の新しい詩の精神にも共通してゐる――を考へ、一方にまた近代の浪漫詩人や明治の新體詩人やが、後年に至つて象徴的傾向の詩風に入った經過を考へる時、少しも誇張の妄想でないことを知るであらう。
[やぶちゃん注:昭和一一(一九三六)年第一書房刊「鄕愁の詩人與謝蕪村」の「春の部」の掉尾。これは底本とした筑摩版全集第七巻校訂本文を用いた。「郷愁の詩人與謝蕪村」の本文は、蕪村の句を「白梅に明ける夜ばかりとなりにけり」としている点及び末尾「知るであらう。」を「知るのであらう。」としている点で劣ると判断したからである。なお、この句は天明三(一七八三)年十二月二十五日未明、蕪村臨終吟三句のうちの最後の作とされ、枕頭で門人の松村月渓が書きとめたものと伝える。前の二句は、
冬鶯むかし王維が垣根哉
うぐひすやなにごそつかす藪の霜
とされる(享年六十八歳。死因は心筋梗塞)のであるが、例えば私の所持する二冊の蕪村句集にはこれら三句はいずれも所収されていない。以上は総てネット上から採取したものである。]