栂尾明恵上人伝記 44
又天竺魯崎那(ろきな)國に大山あり。山頂より下る事五六十里の外に巡りて山あり。形きびしき墻(かきね)の如し。先聖修道(せんしやうしゆだう)の靈跡多く、香華(かうけ)・名草(めいさう)充滿せり。西北は師子國に連なり、其の外は皆大海なり。國の人羅婆那城(らばなじやう)に准(なぞら)へて是を楞伽山(りようがせん)と名づく。山の頂に三の圓石あり、高さ四五尺、廣さ二丈計りなり。如來の御足(みあし)の跡其の上にあり。金剛智三藏其の遺跡を尋ね見給ふに、文影損缺せり。佛跡に非ざるかと疑ふ。時に五色の雲靄(たなび)きて、其の中に圓光あつて佛跡を照らす。其の時に輪相分明(りんさうぶんみやう)に顯現す。空中に聲有りて告げて云はく、是れ誠の佛跡なり。如來將來の衆生の爲に此の跡を留め置き給へりと云々。三藏其の聲を周くに歡喜の泪(なみだ)せきあへず、此の事思ひ出されてうらやましければ、此の定心石の奧に大盤石あり、其の石の上に佛の御足の跡を彫り付けて供養をなし給ふ。仍て遺跡窟(ゆゐせきくつ)と名づく。
滿月の面を見ざる悲しさに巖の上に足をこそすれ
上人或る時讀み給ひける
生死海に慈悲の釣舟(つりふね)出でにけり漕ぎゆくおとは弱吽鎫斛(じやくうんばんこく)
[やぶちゃん注:「弱吽鎫斛」平泉洸全訳注「明惠上人伝記」の訳文では『四摂菩薩の種子』とある。四摂菩薩とは人々をすくい取る役目を担う四菩薩で、金剛鉤菩薩・金剛索菩薩・金剛鎖菩薩・金剛鈴菩薩を持っており、鉤を掛け、索で捕まえ、鎖で縛りって人々を救いとり、鈴で人々の心を歓喜させることを表象するという。]