蕭條として石に日の入る枯野哉 蕪村 萩原朔太郎 (評釈)
蕭條として石に日の入る枯野哉
句の景象してゐるものは明白である。正岡子規らのいわゆる根岸派の俳人らは、蕪村のこうした句を「印象明白」と呼んで喝釆したが、蕪村の句には、實際景象の實相を巧みに捉へて、繪畫的直接法で書いたものが多い。例へば同じ冬の句で
寒月や鋸岩のあからさま
木枯しや鐘に小石を吹きあてる
など、すべていわゆる「印象明白」の句の代表である。そのため非難するものは、蕪村の句が繪畫的描寫に走つて、芭蕉のやうな澁い心境の幽玄さがなく、味が薄く食ひ足りないと言ふのである。しかし「印象明白」ばかりが、必ずしも蕪村の全般的特色ではなく、他にもつと深奥な詩情の本質してゐることを、根岸派俳人の定評以來、人々が忘れてゐることを責めねばならない。
[やぶちゃん注:昭和一一(一九三六)年第一書房刊「郷愁の詩人與謝蕪村」の「冬の部」より。「喝釆」はママ。「喝采」が正しい。本文途中の二句は底本・親本ではポイント落ち。]
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