栂尾明恵上人伝記 42 我なくて後に愛する人なくは飛びてかへれね高島の石――「島」を愛し「石」を愛した明恵
華宮殿の東の高欄の上に一の石を置けり。是は先年紀州に下向の時、海中の嶋に四五日逗留す。其の時西の沖に嶋のかすみて見えたるを天竺に思ひ准(なぞら)へて、「南無五天諸國處々遺跡(ゆなむごてんしょこくしよしよゆいせき)と唱へて泣々禮拜(らいはい)をなす。多くの同法、亦親族の男子等あり。同じく禮拜を進めて告げて曰はく、天竺に如來の千福輪(せんぷくりん)の御足(みあし)の跡を踏み留(とゞ)め給へる石あり。殊に北天竺に蘇婆河(そばが)と云ふ河の邊に如來の御遺跡多くあり。其の河の水も、此の海に入れば同じ塩に染まりたる石なればとて、此の磯の石を取りて蘇婆石(そばいし)と名づけ、御遺蹟の形見と思ひ、七ケ日の間、夜晝松の嵐に眠を覺し、浪の音に聲を調べて、禮拜をなすに、いひしらぬ冠者原(かんじやばら)までも、涙を拭ひて歡喜(くわんぎ)の思ひを成さずといふことなし。誠に衆生は佛性の薫力(くんりき)あれば、是までも如來の慈悲の等流(とうる)なれば、因緣感動も理(ことわり)に覺ゆ。此の磯の石を持して身を放ち給はず。仍て一首思ひつゞけ給ふ。
遺跡を洗へる水も入る海の石と思へばなつかしきかな
入滅(にふめつ)近く成りて、此の石に自ら書き付け給ひける。
我なくて後に愛する人なくは飛びてかへれね高島の石
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