芥川龍之介「河童」決定稿原稿 三
■原稿25
三
[やぶちゃん注:「三」は4字下げ。本文は2行目から。]
僕はこの先を話す前にちよつと河童と云ふ
ものを説明して置かなければなりません。河
童は未だに実在するかどうかも疑問になつて
ゐる動物です。が、それは僕自身が彼等の間
に住んでゐた以上、〔少しも〕疑ふ余地〈など〉はない筈で
す。では又どう云ふ動物かと云へば、〈大体は古來画に描いてあ〉*頭に短い毛のあるのは勿論、手足に水掻きの
〈ついてゐる〉ついてゐることも「水虎考畧」などに出てゐ*るのと〈大した〉*著しい*違ひはありま
せん。身長もざつと一メエトルを越えるか越えるか越えぬ位で〈■〉せう。体重は医者のチヤツクによ
[やぶちゃん注:「〈ついてゐる〉」とダブって抹消しているのは、恐らく最初に、
出来上がっていた、
では又どう云ふ動物かと云へば、大体は古來画に描いてあるのと大した違ひはありません。
の一文を推敲した際、長くなり、当初「ついてある」の改稿部分を8行目真上の罫外に書いてしまい、続く改稿文が書けなくなってしまった上に、文選工・植字工・ゲラ校正者の読み違えの虞れをも考慮し、削除、新たに8行目右に書き直したと考えてよいと思われる。この辺りは、配慮が行き届いていると私は思う。]
■原稿26
〈長椅子に坐り、悠々と巻煙草をふかせ→*し*な〔が〕ら、
往來の河童を眺めてゐました。河童は身長一メエトルを越えるか越えぬ位でせう。体〈長〉重は
チヤツクの話によ〉れば、二十ポンドから三十
ポンドまで、―――稀には〈四〉*五*十何ポンド位の大
河童もゐると言つてゐました。それから頭の
まん中には楕円形の皿(さら)があり、その又皿(さら)は年
齢により、だんだん固さを加へる〈■■〉やうで
す。現に年をとつたバツグの皿は若いチヤツ
クの皿などとは全然手ざはりも違ふ〈■■〉ので
[やぶちゃん注:冒頭の長い削除部分は、既に「■原稿26」に示されたシーンの別ヴァージョンの続きであることが分かる。これによって我々は失われた「■原稿26プロトタイプ」の存在を知るのである。芥川は恐らく、「僕」の河童概説的な導入である現在のものとはかなり違う、チャックとの会話によって河童の外的形相を叙述しようとしていたに違いない。私などは何か、その幻の別稿を無性に夢想してみたくて、たまらなくなってしまうのである。]
■原稿27
〈バツクの皿は若いバ→*チ*ヤツクの皿などとは全然
手ざはりも違ふので〉す。)しかし一番不思議な
〈ことは〉*のは河*童の皮膚の色のことで〈す→せう〉*せう*。河童は我々
人間のやうに一定の皮膚の色を持つてゐませ
ん。何でもその周囲の色と同じ色に変つてし
まふ、―――たとへば艸の中にゐる時には草の
やうに緑色(みどりいろ)に変り、岩の上にゐる時には岩の
やうに灰色に変るのです。これは勿論河童に
限らず、カメレオンにもあることです。或は
河童は〈カメレオン〉*皮膚組織の*上に何かカメレオンに近い
[やぶちゃん注:2行目の「す。)」の丸括弧閉じは抹消し忘れである。この丸括弧の始まりはこれ以前にはない。初出には無論、校正者によって除去されている。
●この冒頭の抹消本文も前の「■26」末尾とダブっていておかしい。前伊に注した丸括弧の始まりがないのも不審である。芥川はもしかすると、前の「■25」「■26」のプロトタイプ原稿をそのまま草稿としていたのかも知れないという気がしてくる。その場合、丸括弧の始まりは失われた「■25」の幻の稿にあったのかも知れない。この「■27」も従ってそれらに続く草稿としてあった、それを安易に反故にせず、決定稿に巧みに構成して入れ込んだのかも知れないという気さえしてくるのである。芥川龍之介は、僕らが安易に思い浮かべるところの――原稿用紙を書いてはくしゃくしゃと丸めて抛り投げ、それが書斎を埋め尽くしているような陳腐な小説家のイメージ――とは全く異なった、巧緻な原稿用紙の倹約家ででも、あったような気がしてくるのである。]
■原稿28
所を持つてゐるのかも知れません。僕はこの
〈事実〉*事実*を発見した時、西国の河童は緑〈色〉*色*(みどり〈いろ〉*いろ*)であ
り、東北の河童は赤いと云ふ民俗〈学〉*学*上の記録
を思ひ出しました。のみならずバツグを追ひ
かける時〈に〉、突然どこへ行つたのか、見えな
くなつたことを思ひ出しました。しかも河童
は皮膚の下に餘程厚い〈■〉*脂*肪を持つてゐると見
え、この地下の国の温度〈の〉*は*比較的低いのにも
関らず、(平均華氏五十度前後です。)着物と云
ふものを知らずにゐるのです。勿論〈チヤツク〉*どの河童*
■原稿29
も目金をかけたり、卷煙草の箱を携へたり、
金入れを持つたりはしてゐるのでせう。しかし
河童はカンガルウのやうに腹に袋を持つてゐ
ますから、それ等のものをしまふ時にも格別
不便はしないのです。唯僕に可笑しかつたの
は腰のまはりさへ蔽はないことです。僕は或
時この習慣をなぜかとバツグに尋ねて見まし
た。するとバツグはのけぞつたまま、いつま
でもげらげら笑つてゐました。おまけに
「わたしは〔お前さんの隱してゐるのが〕可笑しい」と返事をしました。
[やぶちゃん注:最終行の原型が「わたしは可笑しい」というものであったのは、意味の分かる目的語を必要としない河童語の本質を知る上では面白いと私は勝手に思っている。本原稿は丁度、10行目で終っているため、行の残しはない。]