日本その日その日 E.S.モース(石川欣一訳) 第五章 大学の教授職と江ノ島の実験所 8 稚児が淵から俎板岩周辺
翌朝我々は夙く起き、長い往来を通ってもう一軒の茶屋へ行った。ここは実に空気がよく、そして如何にも景色がよいので、私は永久的に一部屋借りることにした。海の向うの富士山の姿の美しさ。このことを決めてから、我々は固い岩に刻んだ段々を登って、島の最高点へ行った。この島には樹木が繁茂し、頂上にはお寺と神社とがあり、巡礼が大勢来る。いくつかの神社の背後で、島は海に臨む断崖絶壁で突然終っている。ここから我々は石段で下の狭い岸に降り、潜水夫が二人、貝を求めて水中に一分と十秒間もぐるのを見た。彼等が水面に出て来た時、我我は若干の銭を投げた。すると彼等はまたももぐつて行った。銅貨ほしさにもぐる小さな男の子もいたが、水晶のように澄んだ水の中でバシャバシャやっている彼等の姿は、中々面白かった。岩にかじりついている貝は、いずれも米国のと非常に異る。海岸の穴に棲んでいる小さな蟹(かに)は吃驚する程早く走る。最初に小石の上を駈け廻っているのを見た時、私は彼等を煤(すす)の大きな薄片か、はりえにしだだろうと思った。彼等は一寸蜘蛛みたいな格好で動き、そしてピシャツとばかり穴の中に駈け込む。
[やぶちゃん注:太字「はりえにしだ」は底本では傍点「ヽ」。稚児が淵や魚板(まないた)石の情景が活写されている。特にこの海士の素潜りの様子やここでの饗応については既に「新編鎌倉志巻之六」や「鎌倉攬勝考卷之十一附録」(「魚枚磐」)にも現われており、この凡そ35、6年後のこと、学生時代の芥川龍之介と一緒にここを訪れた友人が、同じように少年や海女に銅銭を投げるシチュエーションが、芥川の「大導寺信輔の半生」(大正一四(一九二五)年発表)の最後に現われる。未読の方は是非どうぞ、私の電子テクストで。
「翌朝我々は夙く起き、長い往来を通ってもう一軒の茶屋へ行った。ここは実に空気がよく、そして如何にも景色がよいので、私は永久的に一部屋借りることにした」私は岩本楼をモースの定宿と以前の注で記したが、実は江の島到着のその日は江の島参道を少し上った左手にあった洋風造りの旅館「立花屋」(現存せず)に泊まったが、翌朝、参道の反対側にある岩本楼立ち寄り、宿をこちらに変えているのである(以上は磯野直秀「モースその日その日 ある御雇教師と近代日本」に拠る)。
「銅貨ほしさにもぐる小さな男の子もいたが、水晶のように澄んだ水の中でバシャバシャやっている彼等の姿は、中々面白かった。」原文“Some little boys dived for pennies, and they looked funny enough
kicking about below, in water clear as crystal.”。さりげない描写の中に、モースの優しい視線が見え、また実にヴィジュアライズされたよい描写である。
「海岸の穴に棲んでいる小さな蟹」甲殻亜門軟甲(エビ)綱十脚(エビ)目抱卵(エビ)亜目短尾(カニ)下目イワガニ上科モクズガニ科
Varuninae 亜科イソガニ Hemigrapsus sanguineus。
「海岸の穴に棲んでいる小さな蟹は吃驚する程早く走る。最初に小石の上を駈け廻っているのを見た時、私は彼等を煤の大きな薄片か、はりえにしだだろうと思った。」原文は“The little crabs that live in holes on the beach run with amazing
rapidity, and when I first saw them scampering over the pebbles I thought they
were large flakes of soot, or furze.”。“large flakes of
soot”の、煤(消し炭と訳してもよいか)のちょっと大きな欠片(かけら)というのはすんなり分かるが、“furze”はちょっと難解。野生の双子葉植物綱マメ目マメ科ハリエニシダ
Ulex europaeus は日当たりのよい荒れ地によく繁殖し、高さ1~2・5メートル程度の常緑低木で初春と秋に黄色い花を咲かせるが、ここでモースが錯誤したのは無論、この時期に咲かない花ではなく、その枝にあったようだ。ハリエニシダはその名の通り枝に緑色の鋭い刺があり、葉も刺と化している(因みに、そのために牧草地に侵入するとこれによって家畜が傷つけられる厄介な植物で極めて繁殖力が強い。以上はウィキの「ハリエニシダ」に拠った)。ウィキの「イソガニ」によれば、イソガニの通常成体は甲幅2・5センチメートル程度だが、稀に甲幅3・8センチメートルに達する大型個体もいて(これは陸生のアカテガニよりも大きい)、甲の前側縁(両脇)に眼窩の外側も含めて3個の鋸歯を持ち、鉗脚は左右が同じ大きさで、特にオスの鉗脚は大きく発達し、はさみの関節部にキチン質の柔らかい袋を持つ(メスの鉗脚は小さくキチン質の袋もない)。体色は甲表面が緑灰色と紫の斑模様、歩脚も緑灰色と紫の横縞模様(腹面は白色)とあるから、モースはこの色ととげとげしい脚部から、ハリエニシダが岩の上に這うように植生しているものと見紛うたのであろう。
「ピシャツと」ここの全原文は“They go along somewhat like spiders and dart into a hole with a
snap.”で、“with a snap”が、プチッ(と:以下同じ。)・ピシッ・ポキッ・ビシッ・パチン・パタンというオノマトペイアに相当する。]
« 日本その日その日 E.S.モース(石川欣一訳) 第五章 大学の教授職と江ノ島の実験所 7 | トップページ | 橘南谿「東遊記」より 「鎌倉」 »