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2013/06/06

俳句は抒情詩か ? 萩原朔太郎

俳句は抒情詩か ?

 

 かつて或る俳句雜誌で、「俳句は抒情詩か」といふ質問が提出され、一人の俳人と一人の小説家とが、互に反對の意見を述べて議論した。その内容はよく覺えてないが、要するに抒情詩といふ言葉の概念について、解釋の相違を論じたものにすぎなかつた。

 元來言へば、俳句が抒情詩かといふやうな質問は、櫻が顯花植物の一種かとか、人間が哺乳動物の一種であるかといふ類の質問と同じく、常識的には解り切つた自明のことで、質問それ自體が馬鹿らしく思はれるのである。しかし人間の心理は不思議なもので、あまりに明白に解り切つたことが質問されると、却つて何かそこに深遠な哲理があるやうに思はれ、質問の本意がパラドツクスに解されるのである。たとへば「人間は動物の一種であるか」といふ質問を、改めて識者から提出されると、だれも皆急には返事ができなくなる。もし「然り」と答へたら、質問の深遠なイロニイさへも理解し得ない、小學生的痴人と思はれるからである。俳句が抒情詩であることは、それがポエヂイの本質に於て、侘しをりや寂しをりやの所謂俳味を本領する詩であること、そしてこの俳味(侘びや寂びや)が、それ自ら一種の東洋的リリシズムであることを考へれば、たれでも常識的に解り切つた話である。だがこの質問が、改めて世の識者やジャーナリストから出される時、不思議にまた人々が明答を避け、懷疑的になることも事實である。

 そこで故意にむづかしく考へれば、人間が動物でないといふことの辨證が、神學者によつて立派に立つと同じく、俳句が抒情詩でないといふ辨證も、考へ方によつては立つのである。なぜなら「抒情詩」といふ言葉は、元來西洋の一詩形であるリリツクを詳した飜譯語であり、そして日本の俳句は、本來西洋の所謂リリツクではないからである。もつと詳しく説明すれば、西洋のリリツクといふ詩形は、他の敍事詩や劇詩やバラツドやに對して、一種特別の規約づけられた詩學的形式を具へ、かかる一定の詩形態によつてフオルムされた詩を言ふのである。然るにそのリリツクの規約された詩形態は、日本の俳句と全く押韻やシラブルの方則を異にしてゐる。即ち言へば、俳句はリリツクの詩形態に屬しないところの、別個の詩文學に屬するのである。

 しかしかうした辨證は、言ふ迄もなくスコラ的、唯名論的であり、事物の本質を概念の名辭によつて判定するものにすぎない。「抒情詩(リリツク)」といふ飜譯語によつて、僕等が觀念に浮べてるのは、さうした西洋詩學の規約するフオルムではなく、かうした詩文學の本質してゐる詩精神なのである。そこでこの詩精神の本質上から、俳句が果して抒情詩といふ西洋詩のイデーに當るか否かを、今一應念のために考へてみよう。

 抒情詩(リリツク)といふ言葉は、西洋近代の意味――すくなくとも十八世紀末葉以來の意味――では、二つの重要な特色を要素としてゐる。一つは、他の敍事詩や物語詩と異り、主觀の情緒、意志、イメーヂ、氣分等のものを、主觀それ自身の表象として直接に表現することであり、他の一つは――これが可成重要のことであるが――特に他の詩にまさつて、言葉の音樂性や旋律感やを、痛切に要求するところの詩精神を、内容に必然してゐるといふことである。そこでこのイデーから見ると、俳句が大體に於て抒情詩の一種であることは疑ひない。すくなくとも俳句は、西洋の敍事詩や物語詩ではなく、また警句詩や諷刺詩の類ともちがふ。

 

  さびしさや花のあたりのあすならふ  (芭蕉)

  この秋は何で年よる雲に鳥      (芭蕉)

  秋ふかき隣は何をする人ぞ      (芭蕉)

 

といふ類の俳句が、作者の主觀的な情緒(寂しさや悲しさ)の、沁々とした詠歎であり、したがつてまたその詩語に音樂的のメロヂイが強く要求されてることは、表現された作品の節奏を見ても解るのである。だがしかし、一方ではまた俳句の中に、比較的かうした抒情性が稀薄して居り、代りに知性的の印象性が克つたものもある。

 

  草の葉をすべるより飛ぶ螢かな

  蜻蛉や飛びつきかねし草の上

  鶯のあちこちとするや小家がち

  夕立や草葉をつかむ群雀

[やぶちゃん注:「草の葉を」「蜻蛉や」は芭蕉の、「鶯の」「夕立や」は蕪村の句である。なお、底本(筑摩版全集第十一巻)の「引用詩文引用一覽」には、「草の葉を」は、「いつを昔」に、

  艸(くさ)の葉を落(おつ)るより飛(とぶ)螢哉

とあるとし、また「蜻蛉や」は、「笈日記」に

  蜻蜒(とんぼう)やとりつきかねし草の上

である、とする。]

 

 この種の俳句は、前の抒情的の物に比して、著るしく繪畫的である。或はスナップ寫眞的である。したがつてまた詩の節奏する音樂性も、前の物に比して稀薄であり、ややメロヂアスの美を缺いてる。詩の意圖してゐる效果は、むしろその言葉のメロヂイにあるのでなく、語の表象する印象性の強調にある如く思はれる。即ち言へば、それは音樂的であるよりも繪畫的である。

 所で問題は、かうした繪畫的、客觀描寫的の詩が、嚴正の意味でリリツクと言ひ得るかといふ點にある。すくなくともこの種の俳句は、西洋詩學の定義する如き「主觀の直接な表現」ではない。もちろん西洋にも、かうした類の自然風物詩はたくさんあるが、それがやはり抒情詩の一種と目されてるのは(たとへばワルズオーヅやホイツトマンの詩などのやうに)それが純粹の自然描寫でなく、その自然美を取材として、作者の思想する人生觀や社會觀やを、主觀のムキ出しにした情熱で書いてるからである。つまり言へばこの種の詩は、前例に掲出した芭蕉の俳句や「古池や蛙とびこむ水の音」などと、本質に於て同じものである。ただ異なる點は、芭蕉等の思想が東洋的虛無觀を本體とし、その情操する音樂の音色が、胡弓のやうな物悲しいぺーソスを帶びてるのに反し、ホイツトマンなどの西洋詩人が、キリスト教的ヒユーマニズムの思想を把持し、したがつてまたその樂器の音色が、彼我大いに異なるといふ一事にすぎない。

 しかし他の別の俳句、「草の葉をすべるより飛ぶ螢かな」といふ類の詩には、上述の芭蕉の俳句に見るやうな、主觀のリリカルの詠歌もなく、主觀の思想する哲學もない。この種の俳句は、單に自然を自然として、その有るがままの印象や現象やを、繪畫の如く客觀的にスケツチしたものに過ぎない。そしてかういふ妙な詩といふものは、西洋には殆んど類がないのである。したがつてそれは、西洋人の思惟する「抒情詩(リリツク)」といふ觀念からは、少しく別趣の風變りな文學に屬するだらう。前に述べた或る日本の文學者(横光利一氏?)が、俳句は抒情詩に非ずと言つた理由も、おそらくこの點の見解にちがひないのだ。

 さて此處まで考へると、俳句が抒情詩であるかといふ質問も、結局その質問自身の中に、論理上の矛盾が指摘されてくる。つまりかうした質問は、日本の床の間が西洋のマンテルピースであるかとか、日本の大名が西洋のキングであるかといふ質問に同じことで、本來異質的の別な物を、強ひて同じ言語に概念させようとすることから、避けがたく生ずるところの非論理なのだ。つまり言へば日本の俳句は、西洋のエピツクやリリツクといふ言葉によつては、正確に飜譯のできないところの、世界に類なき特殊のポエムなのである。ただ確實に言へることは、それが西洋の詩の中では、リリツクに最もよく類似した特質を持つてるところの、言はば抒情詩風の詩だといふことだけである。

 そこで結論として、かういふことが言へると思ふ。

(俳句の或る多くのものは、本質に於て、まさしく西洋の抒情詩と同じであり、したがつてそれは抒情詩の一種である。だが俳句の或るものは、多少ある點で、西洋の抒情詩とちがつて居り、抒情詩といふ名稱に適切しない場合もある。)

 

 しかし西洋の詩といふものも、近頃はよほど妙なものに變つて來た。特に最近の佛蘭西あたりの詩には、抒情詩だか警句詩だか、ちよいと僕等に見當のつかないものが多い。この頃ルナアルの「博物誌」といふのを讀んだら、次のやうな句文が澤山あつた。二三の例をあげて見よう。

[やぶちゃん注:以下の引用は底本では全体が二字下げである。たまたま底本全集の一行字数にすべて収まったに過ぎないのであるが、底本では総てが一行で示されている。その結果、引用の本文の文頭が一字下げであるかどうかが不明である点は注意されたい。私は種々の分析から一字下げを行わずに示した。また、かくアフォリズムの間を一行空けた。「驢馬」の「大人になつた兎」の後に句点がないのはママ。]

 

   蚯蚓

こいつはまた精いつぱい伸びをして、長々と寢そべつてゐる――上出來の卵饂飩のやうに。

 

   やまかがし

いつたい誰の腹から轉がり出たのだ、この腹痛は?

 

   驢馬

大人になつた兎

 

   蝶

二つ折の戀文が、花の番地を探してゐる。

 

   蟻

一匹一匹が、3といふ數字に似てゐる。それも、ゐること、ゐること!

どのくらゐかといふと、33333333…ああ、きりがない。

 

   あぶら蟲

鍵穴のやうに、黑く、ぺしやんこだ。

 

   蚤

彈機(ばね)仕掛けの煙草の粉(こな)。

 

   鯨

コルセツトを作るだけの材料は、ちやんと口のなかにもつてる。が、なにしろ、この、胴まはりぢや……。

 

「にんじん」や「葡萄畑の葡萄作り」で知られてるルナアルは、詩人よりは小説家として定評されてゐる作家であるし、かうした「博物誌」のやうなものも、その自然觀察の印象的覺え書として出したもので、詩といふ銘題で發表されたものではない。だがそれにもかかはらず、かうした一種の文學が、佛蘭西では詩壇的に問題にされ、日本の俳句から啓示された(註1)HAIKAI(警句的抒情詩)のエスプリとも、文學的に通ずるものと見られてるらしい。實際また、彼等のハイカイ詩と稱するものを、その飜譯を通じて見る限りでは、内容上に於て、たいてい皆この種の文學である。

[やぶちゃん注:「註1」は底本では「HAIKAI」の右上に傍注される。なお、これらは後述されるように、岸田國士が本作の公開の前年の昭和一四(一九三九)年に発表したルナール「博物誌」(白水社刊)の訳を用いている。但し、私の所持する昭和二六(一九五一)年新潮文庫版(新字新仮名版)では(そこでは以下のように総て本文の一字下げが行われている)、

 

     驢馬

 大人になつた兎。

 

で句点があり、「蝶」の「探して」は「捜して」(正字ならば「搜して」)で、「蟻」(これは本来は「蟻 1」である)も(正字正仮名に変換した)、

 

     蟻

 一匹一匹が、3といふ數字に似てゐる。

 それも、ゐること、ゐること!

 どのくらゐかといふと、333333333333…ああ、きりがない。

 

改行の相違及び「3」の数が12と、ここよりも5つ多い(ルナールの原文は無論、12である。以下のリンク先で確認されたい)。「鯨」は最後の部分が「……。」ではなく、「……!」(因みに原文“LA BALEINE”は“Elle a bien dans la bouche de quoi se faire un corset, mais avec ce tour de taille !...”である。以上の岸田の「博物誌」訳文全文(Jules Renard の“Histoires Naturelles”の原文とボナールの挿絵全図と私の注附)は電子テクストを参照されたい。ただ、私は岸田の初訳の「博物誌」を所持していないので、これらの相違が後の岸田の改稿による違いである可能性は排除出来ないことは申し添えておく。]

 だが日本人の詩學では、かういふ文學を俳句とは考へないし、もつと嚴重の意味では、本質的の詩とも考へない。上例のやうな文學は、譯者の岸田國士氏も言つてるやうに、ルナアルの日記等に現はれてる、作者の自然觀や人生觀の思想的背景を考へることなく、單にこれだけの物として讀んでは、詰らぬ機智の玩弄文學で、單に氣の利いた洒落といふだけの物にすぎないのである。然るに日本の俳句といふ文學は、決してこんな機智や思ひ附を本領とするものではない。俳句の本領とするところは、侘びや寂びやの詩的情感を、自然の風物に寄せて吟詠するにある。上例の、「蝶」「やまかがし」「蚤」「鯨」のやうなもの――單に思ひ附の機智を主意にしたもの――は、芭蕉以前に於ける談林派等の俳句には多分に有つたが、芭蕉の革改によつて、日本詩歌の正しい觀念から、眞の「詩に非ざるもの」として除外されてしまつたのである。

 所が西洋では、このルナアルの「博物誌」の如きが、その新奇の故に悦ばれて、數十版を重ねた上に、集中の句が多くの音樂家によつて作曲され、最近文壇の代表的名詩の一に數へられてゐるといふのだから、僕等の日本詩人にとつては、いささか意外の感に耐へないのである。日本でもし、かうした詩集を出版した人があつたとしたら、詩壇はせいぜい好意に評して、二流の上位ぐらゐにしか買はないだらう。

 ひとりルナアルだけではない。最近佛蘭西あたりの詩は(堀口大學君などの譯詩によつて見ても)かうした機智や思ひ附を主要素とする、輕いサロン文學的のものが多いらしい。ヴアレリイやコクトオなどの詩でさへも、少し苛酷に批評すれば、機智文學の上乘のものにすぎないだらう。すくなくとも彼等は、頭腦の詩人であつて心臟の詩人ではないかも知れぬ。西洋の詩の史家は、時にしばしば、ボードレエルを「浪漫派最後の詩人」と呼ぶけれども、この評語をややイロニイに普遍すれば、ボードレエルを「最後の佛蘭西詩人」と呼ぶ意味にもなるかも知れない。とにかく二十世紀に入つてから、歐羅巴は文化的に腐敗し盡して、眞の健全な詩精神を喪失したことは事實である。

 談が餘事に入つたが、とにかく西洋の近代詩中には、嚴重の意味で――といふのは、言葉の正統な解義によつて――抒情詩と呼ぶことの出來ないものが、益々多くなつて來るらしい。しかも彼等は、さうした短篇の近代詩を、警句詩とも諷刺詩とも呼ばず、また勿論、敍事詩とも物語詩とも呼んでゐない。西洋の詩壇では一般にさうした近代詩を概稱して、やはり「抒情詩」と呼んでるのである。して見れば日本の俳句が、近代的の意味に於て、西洋の所謂抒情詩に屬することは、櫻が顯花植物に屬する如く、當然すぎるほど當然の話である。況んや註1の如く、西洋人自身が俳句を稱して、一種の抒情詩と呼んでるのであるから。

[やぶちゃん注:以下は底本ではポイント落ちで、全体が一字下げ。]

 註1 日本の俳句は、西洋の詩人によつて「警句的抒情詩」と稱されてゐる。警句詩即ちエピグラムは、西洋詩の中で最も短い形式のものであるから、この譯語の意味は「最短詩形の抒情詩」即ち「珠玉的抒情詩」といふ意味だと思ふが、彼等の所謂 HAIKAI 詩を讀んで推察すると、この「警句的」といふ言葉が、單に短詩形といふだけではなく、詩の内容上の意味にも關してゐる如く思はれる。つまり彼等の西洋人は、俳句の本領たる侘びや寂びのリリツクよりも、むしろその機智の警句的な閃めきを悦ぶらしい。だから彼等が眞に理解し得るものは、芭蕉や蕪村の俳句(眞の抒情詩としての俳句)でなくして、機智の思ひ附や洒落を主とするところの、芭蕉以前の談林俳句や、江戸末期の宗匠俳句なのである。この種の俳句は、嚴重に言つて抒情詩といふべきよりは、むしろ警句詩といふ方が正しく、さらに一層適切には、西洋人の譯した如く、正に「警句的抒情詩」なのである。

 

[やぶちゃん注:『知性』第三巻第三号・昭和一五(一九四〇)年三月号に初出し、後にエッセイ集「歸郷者」(昭和一五年十月白水社刊)に所収された。

 芥川龍之介がこれ以前、恐らくこのルナールの「博物誌」をインスパイアして(未確認ながら岸田が部分的に発表した「博物誌」の訳があったとして、それを参考にした可能性もすこぶる大)、「動物園」(大正九(一九二〇)年)や「新緑の庭」(大正一三(一九二四)年)を書いていることを考えると、それらを意識して朔太郎が亡き友で『詩を熱情してゐる小説家』と評した芥川のそれらをも、批判的視野に於いて書いている可能性がすこぶる大きいと考えてよい。

 それにしても――『歐羅巴は文化的に腐敗し盡して、眞の健全な詩精神を喪失した』という言い方は――私などには――「ふーん、あの朔太郎が言うかねぇ」――という気がしてくる。この頃の所謂、朔太郎の『日本への回帰』――日本主義者というレッテルの中身が、何となく見えてくる気が、私にはするのである。……]

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