幻想文学ベスト3夢
どこかの学校である。
国語教師らしいが、授業するシーンはなく、生徒や同僚との雑多なで退屈な日常的なシーンが延々と続く。
映像としてはすこぶる退屈な夢だった(各シチュエーションを幾つか覚えているがあまりにつまらないので説明する気も起らない体(てい)のものである)。
が、面白いのはその中で――僕はどうやら勝手にさりげなく「僕の幻想文学ベスト●」を選ぼうと意識している――らしいことが伝わってくる――ということであった。退屈なストーリーの中で僕は妙に意識的に作家名と作品を会話の中に仕組んでいるのである。
微妙に面白いのは「幻想文学ベスト●」という言葉を夢の中の僕は口にしない点である。
これは実は――夢を見ている僕の意識が『この夢の中の僕は自分の最良と思われる「幻想文学ベスト●」を選ぼうとしているな。』とはっきり意識していた点にあるのである。
後は結果を発表して終わろう。
夢の中の僕が会話の中で口にしたそれは、
1 ロバート・ネイサン「ジェニーの肖像」
2 ロバート・シェイクリー「蛭」
3 世阿弥「葵上」[やぶちゃん注:能のそれである。世阿弥が改作したものとも伝えられる。]
であった。
[やぶちゃん注:一つだけ、この3の夢のシークエンスを試みに説明する。]――私は教室で、そこの学校の校長に頼まれて本作の説明をしようとしているのである。たまたまその時読んでいた本の中に出てくるので、それがどこに載っているかを捜しながら僕は、校長に能の「葵上」の語るのであるが、それを聴いていたその教室にいる男子生徒が、「先生、全然、違いますよ。そこは、これこれこうです。」と誤りを指摘されるのである。そうしてやっと探し当てたページには、確かに今、生徒が言った通りのことが書いてあるのであった。――(ここで目が醒めた)
*覚醒後分析
覚醒直後に僕は
『さっきの夢は「幻想文学ベスト10」を選ぶ夢だったのに、3つで終って残念だったなあ、後、7作が知りたかったなあ』
と思ったのだが、ベスト10であったのか、もともとベスト3だったのかは実ははっきりしなかった。
ともかくも上記の3作を、どうも『夢の中の僕』は「僕の幻想文学ベスト入り作品だ」と表明したかったらしいことだけは、分かったのである(そこで一応、この夢の標題を「幻想文学ベスト3夢」とした)。
問題はその『夢の中の僕』が選んだ三つの作品である。
1 ロバート・ネイサン「ジェニーの肖像」
これは問題ない。恐らく覚醒時の僕が、愛読書を10冊、と言われたら、本作を間違いなく挙げる。恐らく、これを僕は過去、十回以上読んでいるからだ(最初の入口は実は小学生の時に見たこの映画版(1948年)のジェニファー・ジョーンズの美しさにあったことは自白する)。タイム・スリップの恋愛幻想文学として、フィリッパ・ピアスの「トムは真夜中の庭で」とともに「僕の幻想文学ベスト10」に入ることも間違いない作品である。
2 ロバート・シェイクリー「蛭」(通常は平仮名の「ひる」で知られる)
「ウルトラQ」の「バルンガ」や映画「エイリアン」への影響が疑われ、先行する「遊星からの物体X」の原作ジョン・キャンベル「影が行く」辺りが影響を与えているようにも思われる本作は、善悪を越えた存在としてのエイリアンというシチュエーションが――好き――ではある。しかし覚醒時の僕は残念ながらこれを決して「僕の幻想文学ベスト10」に入れることは――今も昔もこれからも――ない。
ベスト10でもし僕がSFを入れるとすれば(しかしSFは多分、入れないのだが)――クラークの「2001年宇宙の旅」――あとは――レムの「惑星ソラリス」――を入れるか入れないかであろう。
3 世阿弥「葵上」
問題はこれだ。
僕は能の「葵上」を見たことが――ない。
僕は簡単な梗概を管見したことはあるが、能の謠本の「葵上」を持ってはいるが――読んだことが――ない。
「源氏物語」の、所謂、車争いから六条御息所の葵上への憑霊の場面は、僕のいっとう好きなシークエンスで、授業や保護者向けのカルチャー教室でもオリジナルなものやったことはあるけれど――「僕の幻想文学ベスト10」にそれを入れるかと言われれば……いや?……確かに「僕の幻想文学ベスト10」というなら……「源氏物語」の「葵」なら、これ、入れても、いいかも……という気に今はなってる――しかし無論――見たことも聴いたことも読んだこともない能の「葵上」を挙げるはずは――絶対ない。
因みに、実は僕はベスト・ランキングをあまり好まないのだ。
だからここでも――『覚醒時の僕の』幻想文学ベスト3――は挙げないことにしよう。いや……やり出すとまたまた一日……それで潰すことにも、なりかねないから、ね。……
未明の夢が、こうして今朝の曙の時間、たっぷり僕を楽しませてくれたのであった。……