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2013/06/15

芥川龍之介「河童」決定稿原稿 六 芥川龍之介「河童」の本文は再度徹底的に校合されなければならない!

■原稿50

     〈《五》→《六》→七〉**

[やぶちゃん注:5字下げ。本文は2行目から。]

 實際又河童の〈■〉**愛は我々人間の戀愛とは余

程趣を異にしてゐます。〈女〉**の河童はこれぞと

云ふ〈男〉**の河童を見つけるが早いか、〈男〉**の河童

を捉へるのに如何なる手段も顧〈り■〉*みま*せん。一

番正直な〈女〉**の河童は遮二無二〈《女》→男〉**の河童を追ひ

かけ〈ま〉*るので*す。現に僕は氣違ひのやうに〈男〉**の河童

を追ひかけてゐる〈女〉**の河童を見かけま〔し〕た。い

や、そればかりではありません。〈《女の河童 》→若い女の河〉*若い雌の女河*

童は勿論、その河童の〈《両》→《女》〉**親や兄弟まで一しよ

[やぶちゃん注:

●「〈《女の河童 》→若い女の河〉*若い雌の女河*童」の箇所は説明を要する。その複雑な推敲過程を記号では示し切れていないからである。芥川はまず、

 女の河童

まで書いて筆を留めた。これは9行目19字目で下の20マス目が空いた状態であった(先んじて抹消された「女河童」の下に一字空けしたのはその意味を示そうとしたもの)。そして、

 若い女の河童

と右に訂したが、その時6字目の「河童」の「河」の字は空いていた20マス目に入れたのである。

ところが後に河童の性別表記を「男」「女」から「雄」「雌」に書き換える際(この大きな全体に関わる改変をどこまで書いた時点で行ったものかはまだ判然としないが、管見によれば原稿の「九」に訂正無しの「雌」が現われるところから、それ以前の「七」「八」辺りでかとも思われる。考察続行中)、ここを更に訂して、左側に、

 若い雌の女河童

としようとした。その際、既に正規にマスに入れていた9行目20マス目の「河」を生かして続けたのである(即ち、私が便宜上「若い女の河」として削除に入れてある「河」の字は字としては削除されずに生きてるのである)。美事な節約術であると言えよう。

 さらに実は大きな問題点がここにはある。御覧の通り、ここは原稿通りならば、「若い雌の女河童は勿論」と植字しなくてはならないという点である。この左の挿入箇所ははっきりと「若い雌の女」と書いてあり、「女」は抹消されていないという事実である。しかし、初出も現行の「河童」も、ここは、

 若い雌の河童は勿論、その河童の兩親や兄弟まで一しよになつて追ひかけるのです。

なのである。「雌の女河童」というのは、確かに屋上屋ではある。実際にこの「五」の掉尾では、芥川自身が「女河童」の「女」を抹消しているのである。ではここは文選工・植字工ゲラ校正者によって排除されたものか?

 私は最初に勤務した学校でずっと学校新聞の顧問を担当していたが、その際、担当の印刷会社の植字担当(校正も総て兼務)の方が社会科の教員の書いた記事の中国関連の記事の「首相」を、勝手に「主席」に変えてしまい、困った記憶がある。今でこそ中国に首相がいるのは万民の知るところだが、その担当者は頑なな思い込みがあり、「中国に首相はいない。こんな間違いは社会科の教師として恥ずかしいよ。」と言って中々譲らず、板挟みとなって閉口した覚えがある(それ以外では、とてもよくしてくれた担当者ではあった。――「柏陽新聞」――私の懐かしい思い出である)。学校新聞と芥川龍之介では比較にはなるまいが、文選・植字・ゲラ校正担当者によって実際にそうしたことが行われていた可能性が、この記憶によって私には否定出来ないのである。

 ただ、ここまでこの原稿を見てきて、一つ、大きな疑問が生じている。――この自筆決定原稿は綺麗過ぎる――のだ。冒頭の一枚には明らかに赤字のポイント指示やカット挿入の校正が行われている様子なのに、本文には一切、そうした校正の手入れがなされていないというのは如何にも変だ。考えにくいことであるが、実は校正上の問題箇所は別紙にでも記されていったものなのではないか、という気がしてきてもいるのである(普通はそんあことはしない)。識者の御意見を乞うものである。]

■原稿51

になつて追ひかけるのです。〈男〉**の河童こそ見

じめです。何しろさんざん逃げまはつ〈た〉**

句、運〈《よ》→《好》〉**くつかまらずにすんだとしても、二

三箇月は床(とこ)についてしまふのですから〈。〉。僕は

或時僕の〈部屋〉**にトツクの詩集を讀んでゐまし

た。するとそこへ駈けこんで來たのはあの〈《勢》→勢〉

〈《ツプと云ふ学生》→の好いラツプ〉*ツプと云ふ学生*です。ラツプは僕の〈部屋〉**〈は

ひる〉*轉げこむ*と、床の上へ倒れたなり、息も切れ切れ

にかう言ふのです。

 「大變だ、! とうとう僕は〈つかまつ〉*抱きつかれ*てしまつ

[やぶちゃん注:

●「あの〈《勢》→勢〉**〈《ツプと云ふ学生》→の好いラツプ〉*ツプと云ふ學生*です。」という箇所については途中で次行に移っていることからやや分かり難いかもしれない。最初の抹消の「勢」の字は左上の8画目まで書いて抹消しているが、ここは当初、芥川は、

 あの勢の好いラツプと云ふ学生です。

としたものと思われる。しかしこの「勢(いきおい)の好い」という形容が気に入らず(私もこなれていない形容と感じる)、抹消してシンプルに、

 あのラツプと云ふ学生です。

としたに過ぎないのである。]

■原稿52

た!」

 僕は〈早速戸口へ飛び出〉*咄嗟に詩集を投げ出*し、〈しつか〉*戸口の*錠を〈下〉**

〔して〕しまひました。〈その時〉*しかし*鍵穴から覗い〈て〉**見る

と、硫黄の粉末を顏に塗つた、背の低い〈女〉**

河童が一匹、まだ〈《残念さうにうろつゐてゐました》→戸口に立つてゐます〉*戸口にうろついてゐるのです*〈ト〉**ツプはその日から何週間か僕の床の

上に寐て〈■〉ゐました。のみならずいつか〈嘴が〉*ラツプの嘴は*

つかり腐つて落ちてしまひました。

 〈しかし〉*尤も*又時には〈女〉**の河童を一生懸命に追ひ

かける〈男〉**の河童も〈ゐ〉ないわけではありません。し

[やぶちゃん注:

●「まだ〈《残念さうにうろつゐてゐました》→戸口に立つてゐます〉*戸口にうろついてゐるのです*。」これも複雑で記号では示し得ない。推敲過程を推理する。当初、芥川は、

 まだ残念さうにうろつゐてゐました。

とした。その後、「残念さうにうろつゐてゐ」及び次行上の「した」を抹消、「ま」だけを残して、右に、

 戸口に立つてゐます。

としたと思われる。それでも不服で、さらに「戸口に立つて」を削除、「ゐ」だけを残して、

 戸口にゐます。

とシンプルにしてみた。しかし、今度は削ぎ落とし過ぎたのが逆に不満になったものか、今度は左側に、マスに最後まで残っていた初筆の「ま」も抹消し(この抹消は明白なものではなく、吹き出し線の最後を「ま」の上に延ばすことで示されている)、

 戸口にうろついてゐるのです。

という決定稿になったものであろう。]

■原稿53

かしそれ〈《は■》→《もと■》→も事実上〉*もほんたうの所は*追ひかけずにはゐられない

やうに〈女〉**の河童が〈し?〉**向けるのです。僕はやは

り気違ひのやうに〈女〉**の河童を追ひかけてゐる

〈男〉**の河童〈を見〉*も見*かけました。〈女〉**の河童は逃げて

行くうちにも、時々わざと立ち止まつた見た

り、〈生殖噐を見せ〉*四つん這ひに*なつ〈《たり》→て見た〉*たりし*て見せ〔るので〕す。お

〈■〉**に丁度好い時分になると、さもがつかり

したやうに〈わざ〉*樂々*とつかまつてしまふの〔で〕す。僕

の見かけた〈男〉**の河童は〈女〉**の河童を抱いた〔〈■〉→な〕り、

暫くそこに轉がつてゐました。が、やつと起

[やぶちゃん注:

●「時々わざと立ち止まつた見たり、」はママ。勿論、初出は「時々わざと立ち止まつて見たり、と訂されてある。文選工・植字工・ゲラ校正者によるものであろう。

●「〈生殖噐を見せ〉*四つん這ひに*なつ〈《たり》→て見た〉*たりし*て見せ〔るので〕す。」芥川は恐らく「四」での伏字は予期した確信犯であろうと私は踏んでいるのであるが、逆にここでは伏字を期した意識的な書き換えに苦労している様子が窺われて面白い(と私は思っている)。

●「樂々とつかまつてしまふの〔で〕す。」ここは初出及び現行「河童」では、

 樂々とつかませてしまふのです。

となっている。これは並べてみると、どう見てもこの決定稿の「つかまつてしまふのです」の方が自然ではあるまいか?]

■原稿54

き上つたのを見ると、失望と云ふか、後悔と

云ふか、兎に角何とも形容出來ない、気の毒

な顏をしてゐました。しかしそれはまだ好い

のです。これも〈見かけ〉*僕の見か*けた中に小さい〈男〉**

河童が一匹、〈女〉**の河童を追ひかけてゐ〈ま〉**

た。〈女〉**の河童は例の通り、誘惑的遁走をして

ゐるのです。するとそ〈のうちに向う〉*こへ向うの街*から大き

〈男〉**の河童が一匹、鼻息を鳴らせて歩いて來

ました。〈女〉**の河童は何かの拍子にふとこの〈男〉**

の河童を見ると、「大變です! 助けて〈下〉**

■原稿55

い! あの河童はわたしを殺さうとするので

す!」と金切り聲を出して叫びました。勿論大

きい〈男〉**の河童は忽ち小さい河童をつかまへ、

往來のまん中へねぢ伏せました。小さい河童

は水搔きのある手に二三度空を摑んだなり、

とうとう死んでしまひました。けれどももう

その時には〈女〉**の河童はにやにやしながら、大

きい河童の頸つ玉へしつかりしがみついてし

まつてゐ〈《■》→る〉**のです。

 僕の知つてゐた〈男〉**の河童は誰も皆言ひ合は

■原稿56

せたやうに〈女〉**の河童に追ひかけられま〔し〕た。勿

論妻子を持つてゐるバツグでもやはり追ひか

けられたのです。のみならず二三度〈つ〉**つかま

つたのです。唯マツグと云ふ〔哲〕學者だけは(これ

はあのトツクと云ふ詩人の鄰に〈住ん〉*ゐる*河童です。)

一度もつかまつたことはありません。これは

一つには〈トツ〉*マツグ*位、醜い河童も少ない爲でせ

う。しかし又一つにはマツグ〔だけ〕は餘り往來へ〔顏を〕出

〔さ〕ずに家(うち)にばかりゐる爲です。僕はこのマツグ

の家へも時々〈話〉**しに出かけました。マツグは

[やぶちゃん注:

●「しかし又一つにはマツグ〔だけ〕は餘り往來へ〔顏を〕出〔さ〕ずに家(うち)にばかりゐる爲です。」に着目してもらいたい。特に「さ」などは特異的に9行目の罫外に手書きで罫を引いて挿入してある。これは実は挿入箇所を外して(ルビも一緒に外しておく)みると、

 しかし又一つにはマツグは餘り往來へ出ずに家にばかりゐる爲です。

というシンプルな表現への手入れであったことが分かるのである。]

■原稿57

〈《狭い家の中に》→いつも奥深い〉*いつも薄暗い*部屋に〈小さい〉*七色の*色硝子のランタア

ンをともし、脚の高い机に向ひながら、〈何か〉

厚い本〔ばかり〕を讀んでゐるのです。僕は或時かう云

ふマツグと河童の戀愛を論じ合ひました。

 〈《■》→僕?〉 「なぜ〈君?〉**府は〈女〉**の河童が〈男〉**の河童を追ひ

かけるのをもつと嚴重に取り締らない〈かね?〉*のです

*

 〈マツグ〉 「それは〈政府の役人に〉*一つには官吏*の中に〈女〉**の河

童の少ない爲ですよ。〈女〉**の河童〈も〉**〈男〉**の河童よ

りも一層嫉妬心は強いものですからね。〈《もう》→女の〉*雌の*

[やぶちゃん注:

●二つの台詞の前の削除はお分かりの通り、話者を示すためのものであったことが分かる。それぞれの台詞「僕」のそれが3字下げ、マッグのそれが5字下げの位置から始まっており、活字化されたとすると、却って見にくいものではある。なお、芥川は鍵括弧を一マス取らないのでそれぞれ4マス目・5マス目の右肩に鍵括弧が入り、当該マスから字を書き始めている。

●「厚い本〔ばかり〕を讀んでゐるのです。」ここは初出及び現行「河童」では、格助詞「を」がなく、

 厚い本ばかり讀んでゐるのです。

となっている。一般には目的格「を」がなくてもよいが、私は芥川の文体からして、「を」がある方が彼らしいと感じている。]

■58

河童の官吏さへ殖ゑれば、きつと今よりも〈男〉**

の河童は追ひかけられずに〈すむ〉*暮らせるでせう。し

かしそ〈れも〉*の効*力も知れたものですね。なぜと言

つて御覽なさい。官吏〈で〉同志でも〈女〉**の河童は〈男〉**

の河童を追ひかけますからね。」

〈僕〉 「ぢやあなたのやうに暮ら〈す外には必ず

つかまつてしまふ訣です〉*してゐるのは一番幸福な訣ですね。*

 するとマツグは椅子を離れ、〈《二三度部屋の》→僕の肩へ手を

置い〉*僕の兩手を握つ*たまま、ため息と一しよにかう言ひまし

た。

[やぶちゃん注:

●二箇所に現われる「暮らせる」「暮らして」は、孰れも初出では「暮せる」「暮して」になっている。これはその校正者の(若しくは当時の改造社の校正担当者の)統一原則――恐らくは筆者の各個同意を必要としない)ででもあったものか?

――しかし、残念ながら、そうではないのである――

「五」には二箇所「如何にも、気樂さうに暮らしてゐました」「親子夫婦兄弟などと云ふのは悉く互に苦しめ合ふことを唯一の樂しみにして暮らしてゐるのです。」と現われるが、ここは原稿通り、初出も孰れも「暮らし」と送っているのである。最早、「河童」の『改造』初出及びそれを底本としている現行の「河童」は、再度、この芥川龍之介自筆原稿を底本として初出と校合し、正しく校訂されなければならないという気が、ここにきて既に、今の私には強くしてきていることを、告白する。私は本テクストの冒頭注で「細かな注で文章が分断されるため、最終的には別に、煩瑣な神経症的注を除去した読み易い通読閲覧用原稿準拠版も供したいと考えている」と記したが、ここで更に、

 芥川龍之介「河童」最終原稿完全準拠版「河童」

最終的にもう一つ、作成する決心をしていることをここに掲げおきたい。

 ただそれでもまだ「河童」の真の決定稿とは言えないこともここに添えて置かねばなるまい。何故なら、今一つの芥川龍之介自筆の『改造』切抜への著者訂正書入れ(日本近代文学館蔵)が存在するからである。これは恐らく在野の一介の私などには近代文学館は見せて呉れまい。それをこれに校合出来れば、最も芥川龍之介が望んだ決定版「河童」の完全テクストが日の目を見るのであるが……。まあ、何れは、どこかのアカデミストがそれをやっては呉れるのかも知れないが――]

■原稿59

 「あなたは我々河童ではありませんから、お

わかりにならないのも尤もです。しかしわた

しもどうかすると、〈《追ひかけられたい気も》→あの恐しい女の河童に〉*あの恐ろしい雌の〈女〉河童に*

ひかけられたい氣も起るのですよ。」

[やぶちゃん注:

●「〈《追ひかけられたい気も》→あの恐しい女の河童に〉」の二度目の大きな書き換えは単に、「女の河童に」を「雌の女河童に」に書き換えるためだけのものである。ここで「女」を芥川が自分で抹消している点、先に述べたが、注意されたい。以下、6行余白。なお、頁ナンバリング「59」の下に大きな黑インで大きな「ㇾ」点が入っているが、意味は不明。筆者によるものかどうかも分からないが、少なくとも本文使用のものと同系のインクではある。更にこの原稿には裏から滲んだと思しい赤インクの滲みがあるが、それについては次の原稿の冒頭で考証する。]

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