芥川龍之介「河童」決定稿原稿 七 僕もハンパねえ我鬼の覚悟になりつつある……
先週末、気がついたら眼を酷使し過ぎたのか、結膜下出血のために右目の白目が半分以上、血みどろ(充血なんてハンパなもんじゃない、完全な血の色で真っ赤)になっていて慄っとした。赤インクを「相棒」の米沢のように推理したのが祟ったか?……しかし、こればかりはやめられない。
今や殆んど僕も我鬼の覚悟で芥川龍之介の原稿に向っている――
*
■原稿60
七
[やぶちゃん注:5字下げ。本文は2行目から。
●この原稿には右罫外上方に赤インクで、
芥川氏つづき
とあり、更にほぼ7~8行目の間の上方罫外に、
60
という左上方のナンバリングと同じ数字(ノンブル)が手書きで赤インクで記されている。この数字は「■原稿78」まで、だいたい同じ位置に「78」まで同様に記されている(それぞれの数字の近くには幽かな数箇所の赤い滲み痕があるが、これは後ろに重ねた原稿の数字から裏側から滲み移ったものと思われる)。また、この原稿には6行目19マス及び7行目18マスと20マス、8行目17マスに赤インクの染みが認められるが(一部行間に掛かる。国立図書館蔵の「国立国会図書館デジタル化資料」の自筆原稿のコマ番号「32」右)、一部字のように見える箇所もあるが、これは校正痕ではなく、単なる汚れと思われる。実は前の「■原稿59」のここより高い位置(2行目7・8マスと11・12マス、3行目6・7マスと12・13マス及びそれらの行間部)に裏側からの赤インクの滲み痕が認められるのであるが(国立図書館蔵の「国立国会図書館デジタル化資料」の自筆原稿のコマ番号「31」左)、これらはそのままの位置ではこの原稿の赤インク染みとは一致しないものの、「■原稿59」の裏からの滲みのうち、下部(2行目11・12マス、3行目12・13マス及びそれらの行間部)のインク滲み痕は、この「■原稿60」の下部のインク染み(6行目19マス及び7行目18マスと20マス及びその行間部)を反転させたものと対応したよく似た形状を示しているように見受けられる。これは当該原稿同士が重ねられていた状態(和装冊子化される以前)で、「■原稿60」の「芥川氏つづき」以下の手書きノンブルを赤インクで書いた際、うっかり汚したものの上に、まだ乾かないうちに「■原稿59」を不揃いに重ねた結果、その裏側に赤インクが附着して表へ現れたもののように見受けられる。]
僕は又詩人のトツク〈学生のトツ〉*と度たび音樂*会へも出
かけました。が、未だに忘れられないのは〈二〉*三*
度目に聽きに行つた音樂会のことです。〈会場の
容子は〉*尤も會場の容*子などは余り日本と変つてゐま〈せ〉*せ*
ん。やはりだんだんせり上つた席に男女の河
童が三〈百匹〉*四百*匹、いづれもプログラムを手にし
ながら、〈熱心〉*一心*に耳を澄ませてゐるのです。僕
はこの三度目の音樂会の時には〈髮の毛の長い詩人〉*トツクやトツクの雌河童*の外にも〈哲学者のマツグ〉*哲學者のマツグ*と一しよ〈に〉*に*な
[やぶちゃん注:この部分、二箇所に初出や現行と異なる箇所がある。
●「男女の河童」初出や現行「河童」では、
雌雄の河童
となっている。大々的に後から行われた書き換えコンセプトとして正しい。
●「トツクの雌河童」初出や現行「河童」では、
トツクの雌の河童
となっており、以下、次の「■原稿63」及び「■原稿66」に現われる「雌河童」も皆、「雌の河童」となっている。現行の「河童」には外で「雌河童」という語は用いられておらず、総て「雌の河童」であるから、統一はとれた書き換えではある。しかし、私はここが、
――トックの女――
という限定的謂いを含んだ表現であることに注目したいのである(自由恋愛家であるトックは正妻を持たない)。ここは、
――トックの愛人であるところの雌の河童――
なのである。その場合、
――トックの女の河童――
や
――トックの雌の河童――
という表現が如何にもお洒落じゃないとは感じないだろうか? 私には、寧ろ、同格の「の」を排した、
――トックの女河童――
若しくは
――トックの雌河童――
の方が如何にもしっくりと『愛人』のニュアンスを伝えると思うのである。私は、芥川が男女という表現で書いて来たものを何故、一律に雌雄としてしまったのか、今一つ、腑に落ちないでいる。河童という異生物体としての印象を大事にしたかったのか? 河童世界が明白な現実の当時の日本・人間社会のカリカチャア(但し、それは正立像であったり倒立像であったりする)であることは読者の誰もが理解したはずであるから、そこに「異界」性を持ち込むことのファンタジアが「雌雄」の意味であったものか? いや、寧ろ、芥川は人間社会の「男女」という語に付与されるところの甘いロマンティシズムなぞは、所詮、幻想であり、種の保存とニンフォマニア的神経症的性欲充足が「男女」というものの真相である、ヒトの男女も所詮、動物の雄雌以外の何ものでもないということを表現したかったのであろうか? 大方の識者の御意見を俟つものである。]
■原稿61
り、一番前の席に坐つてゐました。するとセ
ロの獨奏が終つた後、妙に目の細い河童が一
匹、無造作に譜本を抱へたまま、壇の上へ上
つて來ました。こ〈れは〉*の河*童はプログラム〈によれ
ば〉*の教へる通り*、名高いクラバツクと云ふ作曲家です。プ
ログラムの教へる通り、――いや、プログラ
ムを見るまでもありません。クラバツクはト
ツクが〈属〉*属*してゐる超人倶樂部の會員〈中でも〉*ですから*、
〈《最も》→超人ぶりを発揮する上には最も大膽な河童な
のですから。 〉
[やぶちゃん注:は最終行残り14マス余白を抹消している。]
■原稿62
僕も亦顏だけは知つてゐるのです。
「Lied ――― Craback 」(この國の音樂会のプ
ログラムも大抵は獨逸語を並べてゐました。)
クラバツクは盛んな拍手の中にちよつと我
々へ一礼した後、靜かにピアノの前へ歩み寄
りました。それからやはり無造作に自作のリ
イドを彈きはじめました。クラバツクはトツ
クの言葉によれば、この国の生んだ音樂〈家〉*家*
中、前後に比類のない天才ださうです。僕は
クラバツクの音樂は勿論、〈クラツ〉*その又*余技(ぎ)の抒情
[やぶちゃん注:「Craback」の綴りは「Lied」同様に筆記体であるが、「Cra」「ba」「c」「k」は続かずに切れている。なお、この部分にも、二箇所に初出や現行と有意に異なる箇所がある。
●「この國の音樂会のプログラム」初出や現行「河童」では、
この國のプログラム
となっており、「音樂会」がない。除去する必然性が感じられない。私は校正時の脱落で芥川はゲラ校で見落とした可能性を考えている。
●「靜かにピアノの前へ」初出や現行「河童」では、
靜にピアノの前へ
となっており、送り仮名「か」がない。続く「■原稿67」の同様のミスを除く他にある「河童」の中の10箇所は、総てが「靜か」と「か」を送っているのである。これは明白にして単純な植字ミスとしか言いようがない。私も個人的に「か」から送りたい人間である。しかも、この原稿との異同は旧全集校異表の中にはない。余りに些末と思ったものか。しかしであれば、何故、初出でなく、原稿に従ってここと次に「か」を送って統一した定本本文としなかったのか? いろいろな点で不思議と言わざるを得ないのである。]
■原稿63
詩にも興味を持つてゐましたから、大きい弓
なりのピアノの音に熱心に耳を傾けてゐまし
た。〈トツクや〉*トツクや*マツグも恍惚としてゐたことは
或は僕よりも勝つてゐたでせう。が、あの
美しい(少くとも〈トツク〉*河童た*ちの話によれば)雌河童だ
けはしつかりプログラムを握つた〈まま〉*なり*、時々
さも苛ら立たしさうに長い舌をべろべろ出し
てゐました。これは〈■〉マツグの話によれば、〈《何》→前
《度か》→《でも、》《クラバツクを摑まへかかつ》た《ところ、》→→前に一度クラバツクを摑まへるばかりになつたところ、生憎往來に落ちてゐた、 〉
[やぶちゃん注:
●最後の部分の書き換えは非常に複雑である(国立図書館蔵の「国立国会図書館デジタル化資料」の自筆原稿のコマ番号「33」左)。推定してみる。あくまで取消線の切れ目などからの私の推定である。まず芥川は、
何度かクラバツクを摑まへかかつたところ、
までを一気に書いたが、そこを、
何でも、クラバツクを摑まへかかつたところ、
としたのではなかったかと思われ、しかも、それをさらに、
何でも、クラバツクを摑まへたところ、
と更に切り詰めた。しかし、どうも気に入らず、頭から、
前に一度クラバツクを摑まへるばかりになつたところ、生憎往來に落ちてゐた、
までを一気に書いた。しかし、最終的に気に入らない。ところが最早、推敲訂正する余地が原稿用紙になくなってしまったため、総てを削除した。実は削除線をし忘れているのが、
9行目頭の「でも、」
なのであるが、これを消し忘れたのは、実は彼の頭の中に次の原稿冒頭にある通り、最終決稿をまさにこの、
何でも
で始めることが頭にあったからではなかったか、と私は推理ものである。]
■原稿64
何でも彼是十年前にクラバツクを摑まへそこ
なつたものですから、未だにこの音樂家を目
の敵(かたき)にしてゐるのだとか云ふことです。
クラバツクは全身に情熱をこめ、戰ふやう
にピアノを彈きつづけました。すると突然會
場の中に神鳴りのやうに〈鳴り〉*響き*渡つたのは「演奏
禁止」と云ふ声です。僕は〈前〉*こ*の声にびつくり
し、思はず後ろをふり返りました。声の主は
紛れもない、一番後ろの席にゐる〈、小肥りに〉*身の丈拔群*
の巡査です。巡査は僕がふり向いた時、〈もう〉*悠然*
[やぶちゃん注:二箇所の校正ミス。
●「〈鳴り〉*響き*渡つたのは」またしても校正ミスである。初出及び現行「河童」では、
響渡つたのは
と送り仮名「き」が送られていない。
●「〈前〉*こ*」恐らく「前」で間違いない。後の「後ろ」に対応した表現をしようとしたものであろう。
●「思はず後ろを」「一番後ろの」またしても二箇所の校正ミスである。初出及び現行「河童」では、二箇所とも、
後
と、送り仮名「ろ」が送られていない。この校正ミスは最早、文選工・植字工・ゲラ校正者の確信犯としか思われない。総ルビ指示があるから「ろ」を送らずともよいと判断したものか? しかし、他では「後ろ」とちゃんと原稿通り送って植字している箇所がこれ以前(「一」の「僕の後ろにある岩の上には畫にある通りの河童が一匹」、「二」の「それから誰か後ろにゐる河童へ Quax quax」)にも以後(「十」の「トツクの後ろ姿を見送つてゐました」、「しかもそのうちに瘦せた河童は何かぶつぶつ呟きながら、僕等を後ろにして行つてしまふのです」等4箇所)にもあるのであるから、これどう考えてみても非常にマズい。やったりやらなかったりする文選工・植字工・ゲラ校正者の移り気な恣意的校正はどう考えても許されるものではあるまい。このミスは後の「八」などでも現われるのである。]
■原稿65
と腰をおろしたまま、もう一度前よりもおほ
声に「演奏禁止」と怒鳴りました。それから、――
―
それから先は大混亂です。「警官横暴!」「ク
ラバツク、彈け! 彈け!」「莫迦!」〈「〉*「*畜生
!」「ひつこめ!」「負けるな!」―――かう云
ふ聲の湧き上つた中に椅子は倒れる、プログ
ラムは飛ぶ、おまけに誰が投げるのか、サイ
ダアの空罎や〈馬胡瓜さへ〉*石ころや噛*ぢりかけの胡瓜さへ
〈飛〉*降*つて來るのです。僕は呆つ気にとられまし
〔たから、トツクにその理由を尋ねようとしました。が、トツクも〕
[やぶちゃん注:
●「〈馬胡瓜さへ〉」ここは芥川の茶目っ気が出ている面白いところである。お盆の精霊馬(しょうりょううま)が投げられるのはすこぶる附きで面白いのだが、「サイダアの空罎」「石ころ」と並列させるには戯画的過ぎて齟齬を感じたものか? 私は如何にも切り捨てるに勿体ない気がしてならないのであるが。
●最終行は左罫外に大枠のみを一行分手書きで増補した長方形の枠(上の罫から「松屋製」の上まで)に読点も含めて29字分が書かれている。しかし、この挿入も異例な上に、かなり不審である。何故なら、本来の20行目が次の「■原稿66」の冒頭とは全く以って続いていないからである。これはこの自筆原稿以外に下書きがあり、それを写した際、改頁となるここで「たから、トツクにその理由を尋ねようとしました。が、トツクも興奮し」の計32字分を誤って飛ばして写し、慌てて挿入したのではないか、という推理が立てられなくはない。そういう観点から見ると、挿入箇所の冒頭と「■原稿66」の冒頭は、
たから、
たと見え、
と同じ「た」から始まっているやや似た句末で、疑おうと思えば疑えるとは言えまいか?]
■原稿66
〔興奮し〕たと見え、椅子の上に突つ立ちながら、「クラ
バツク、彈け! 彈け!」と〈叫び〉*喚き*つづけてゐま
す。〈それから〉*のみなら*ずトツクの雌河童もいつ〈か〉*の間(ま)に*敵意
を忘れた〈と見〉*のか*、「警官横暴」と叫んでゐることは
少しもトツクに変りません。僕はやむを得ず
マツグに向かひ、「どうしたのです?」と尋ねて
見ました。
「これですか? これは〈よくあ〉*この国*ではよくある
ことですよ。〈」〉 〈■〉*元*來画だの文藝だのは………」
〈《マツグはかう言》→《*マツグは空き罎の*雨の下に時々に》〉マツグは何か飛んで來る度にちよつと
[やぶちゃん注:
●「雌河童」先に示した通り、初出及び現行「河童」では、「雌の河童」。
●「〈■〉」この抹消字、読めそうで読めない。何かピンとこられた方の御教授を乞う。]
■原稿67
頸を縮め〔ながら〕、不相変靜かに説明しました。
「元來画だの文藝だのは誰の目にも何を表は
してゐるかは兎に角ちやんとわか〈ります■〉*る筈です*か
ら、この國では决して發賣禁止や展覽禁止には
〈あはせ〉*行はれ*ません。その代りにあるのが演奏禁
止です。〈音樂だけは〉*何しろ音樂*と云ふものだけはどんな
に風俗〔を〕壞亂する〈もの〉*曲*でも、耳のない河童には
わかりませんからね。」
「しかしあの巡査は〈音樂家〉*耳があ*るのですか?」
「さあ、それは疑問ですね。多分〈あ〉*今*の旋律を
[やぶちゃん注:
●「靜かに」先に示した通り。初出の校正ミスであるにも拘わらず、現行「河童」も「靜に」である。
●「〈ります■〉*る筈です*」ここは取消線の相違からの推測であるが、「ります」と最初に書き、「りま」を傍線で抹消、「る筈」と書いて、すでに書いた「す」を「です」で使おうとしたが、マスがずれるのを嫌って「す」をぐりぐりと消し、「で」を書いた。その下のマスに「す」を二画目の頭まで書きかけて(確定は出来なかったので「■」としてある)、やはり綺麗に改訂した部分を右側に並べようと、それを消して「る筈です」と記したのではあるまいか。
●「展覽禁止には〈あはせ〉*行はれ*ません」ここは初出以降、
展覽禁止は行はれません
で、「に」は削除し忘れ。逆に文選工・植字工・ゲラ校正者に救われたものかも知れない。]
■原稿68[やぶちゃん注:「★」部分は原稿にない箇所が現行「河童」にはあることを示す。]
聞いてゐるうちに細君と一しよに寢てゐる時
の心臟の鼓動でも思ひ出したのでせう。」
★
「〈その国〉*そんな*檢閲は亂暴〈すぎますね。」〉*ぢやありま*せんか?」
「何、どの国の檢閲〈も大抵これと〉*よりも却つて*進歩してゐ
る位ですよ。〈」〉たとへば日本を御覽なさい。現
につひ一月ばかり前にも、………」
〈マツグはかう言ひかけた途端、〉*丁度かう言ひかけた途端です。マツグは生憎*腦天に空罎が落ちたものですから、〈あつと云つて■〉*quack(これは唯*間
投詞です)と一声(こゑ)叫んだぎり、とうとう氣を失
つてしまひました。
[やぶちゃん注:
★以下に、ここに挿入される原稿にない初出及び現行「河童」に現われる段落を岩波旧全集から引用して示す。底本は総ルビであるが五月蠅いので私が振れないと判断する読みは排除してある。「いよいよ」の読みの後半は底本では踊り字「〱」である。
かう云ふ間にも大騷ぎは愈(いよいよ)盛んになるばかりです。クラバツクはピアノに向つたまま、傲然と我々をふり返つてゐました。が、いくら傲然としてゐても、いろいろのものの飛んで來るのはよけない訣(わけ)に行(い)きません。從つてつまり二三秒置きに折角の態度も變つた訣です。しかし兎に角大體としては大音樂家の威嚴を保ちながら、細い目を凄(すさ)まじく赫(かが)やかせてゐました。僕は――僕も勿論危險を避ける爲にトツクを小楯(こだて)にとつてゐたものです。が、やはり好奇心に驅られ、熱心にマツグと話しつづけました。
本原稿には挿入を示すような記号も何もない。従って、これは、この決定稿の改造社への送付後からゲラ校正終了迄の間に、芥川龍之介から、この箇所への追加挿入原稿が示されたか、ゲラ校正に張り付けられた、何れかである。総字数288字(ダッシュは芥川の癖で3字とるから一字加えてある)であるから、当該使用原稿用紙で一枚と約一行半(総22行分)である。この挿入指示に関わる書簡などが残っていれば嬉しいところだが、残念ながらない。彼が最後にここを挿入したくなった理由はいろいろ考えられよう。ここで壇上の傲然たるクラバックを描かぬのは、如何にも舞台として淋しいことは勿論である。しかし、他に何かある。それが何であるか、今のところ私には判然としない。ただ、この著名な作曲家にして詩人で芸術至上主義者であるクラバックは私のモデル推定ではすこぶる同定し難いハイブリッドなのである。私は当初その原型を、実際の作曲家山田耕筰辺りに求めたが、実はこのキャラクターはダブル・キャストで音楽もよくした萩原朔太郎を感じさせ、後半では、かなり明らかに、自死する詩人トックと同じく『萩原朔太郎や志賀直哉』に比定されような、しかも『芥川龍之介自身の相互互換的モデル』としても機能しているように感じられるのである。ここで示した傲然たるクラバックは、もしかすると芥川龍之介自身の当時の文壇や現実社会への態度のカリカチャアであった可能性を私は嗅ぎ分けているのである、とだけ申し添えておきたい。
●「反つて」初出及び現行は「却つて」。芥川自身のゲラ校での変更によるか。
●「〈あつと云つて■〉」この最後の判読不能字の(へん)は「糸」(いとへん)である。]

