香料のをどり 大手拓次
香料のをどり
木立(こだち)をめぐる鬼面(きめん)の闇(やみ)、
河豚(ふぐ)のやうなうめきをそよりたてて、
ものしづかにのぼる新月(しんげつ)、
饐(す)えたるものかげは草のやうに生ひたち、
ふりみだす髮、
かきならす髮、
よろこびにおどろく髮、
野生(やせい)の馬(うま)のやうに香氣ある肢體をながして
うつりゆく影のすがたは、
いよいよふくらみ形(かたち)をこめてつぶやく。
香料の寶石(はうせき)、
香料の寢間(ねま)、
地のうへをはふ祕密の息(いき)のやうに、
あでやかにをどりながら、
墓石(ぼせき)に巣(す)くふ小鳥のかげをひらめかす。
[やぶちゃん注:「そよりたてて」やや特異な用法である。「そより」は副詞で、多く「と」を伴って、物が軽く触れあって立てる、幽かな音を表わす語である。一般には「一叢(むら)の修竹(しうちく)が、そよりと夕風を受けて、余の肩から頭を撫でたので」(夏目漱石「草枕」のように、風が静かに吹き過ぎていくさまをいうことが多い。ここではフグの絞り立てるような鳴き声(フグは釣り上げた時など危険を感じると威嚇のためにグーっと鳴く)を表現しているものらしい。水泳中に、怒って鳴きながらパンパンに膨れ上がったクサフグ(恐らくは子を守るために)に腰を嚙みつかれた経験のある(こういう経験者は多くはないと思われる)私にはすこぶる自然な表現に読めるのである。]