栂尾明恵上人伝記 37 善知識の邊を離れて、片陰に閑眠せんと云ふ心の付きたらば、大魔王の心中に依託せりと知りて、僅に一念も萌さば、敵を去るが如く拂ひ除くべし
又五門禪要幷に達磨多羅禪經(だるまたらぜんぎやう)等を開き、禪法要解一部自筆を以て書寫して、是を開き見給ひて心を養ひ給ひけり。笠置の解脱上人此の事を聞き給ひて、我佛法に於いて其の至要を探るに、我が安立(あんりう)する處に遙かに以て府合せりとて泪(なみだ)を流し給ひけり。
又圓覺經三觀二十五輪の方軌に依りて圓覺性を觀ずるに、其の好相(かうさう)を得る事あり。或は華嚴の六地・十二因緣・唯識唯心幷に三無差別の妙理・法界緣起の圓觀に於て行を立て營み給ふ。又入解脱門義一部二卷之を草す。
同三年〔辛巳〕秋の比、後高倉の法皇の院宣に依りて、又賀茂の佛光山に移住し、華嚴信種義(けごんしんしゆうぎ)一卷之を撰び、即ち信光(しんくわう)の表相(へうさう)を顯はし、一乘圓信(ゑんしん)の行を立つ。
貞應元年〔壬午〕夏の比、善知識供(ぜんちしきく)を始行(しぎやう)し給ふ。生々世々善知識知遇(しやうじやうせゝぜんちしきちぐう)の勝業(しようごふ)の爲、且は衆生をして知識の緣を結ばしめんが爲に、上人自ら祭文を草し、其の式を定め行ひ、終に高山寺の恆例の勤めとなる。
上人常に語り給ふ、病者は醫師の傍(そば)にて益あるべし。學道の人は善知識の邊(ほとり)に居せずは成し難かるべし。誠に深切の志を立て行道を勵むべくば、眞正の知識の爲に、頭目髓腦(づもくずいなう)をも惜しまず、麁食薄衣(そじきはくえ)を忍び閑寂冷然にこらへ、交衆の悤誼(そうけん)をも猒(いと)はず、恥辱煩惱を事とせず、只久長(きうちやう)の志を提(さ)げて、今日極めずは明日、今月悟らずは來月、今年相應せずは明年、今生(こんじやう)に證せずば來生(らいしやう)と、深く退屈せず、火を鑽(き)るが如くすべし。未だ煖氣(だんき)遲きに依りて退屈せざれ、既に煙を得て足りぬと思ひて緩(たゆ)む事なかれ。直(ぢき)に火を揉み出しても、是を炭薪(たんしん)に燒き付けずばあるべからず。都(すべ)て火を揉みそめしより、火を得て物に應じ樣々の用に至るまで、徒に過ごす時節有るべからず。若し暫くも間斷(けんだん)あらば、勞して功成り難し。されば眞正の善知識によらずば、西に行くと思ひて東に歩み、北を指すと思ひて南に向ふ誤り有るべし。虛空の面(めん)に方角の銘なし。何を以てか證とせん。されば獨り山中に嘯(うそぶ)くと雖も、老狐(らうこ)の塚に眠るに何ぞ異ならん。末世末法の拙(つたな)き比(ころ)なりと雖も、流石(さすが)正知識(しやうちしき)門下には尋ね來り訪ひ去る人繁く、肩を並べ膝をつめて喧(さはが)しき習ひなり。さるにつけてはうるさき事も多く、むつかしき節も少なからず。或は恥ぢがましき事も有り、或は腹の立たるゝ便(たより)もあり、或は軌矩(きく)のきびしき所もあり、或は惡衆(あくしゆう)の交る難(なん)もあり。然れども大事の前に小事なし。實に此の生死一大事の爲、又は限りなき佛恩を報ぜんが爲に、志を起し願を立て、既に釋門に入れり。更に目に懸(か)くべからず。金を取る者は人を見ざる諺(ことわざ)あり。げに志深くばかゝる小事共の心に懸かる事は更に有あるまじきなり。唯半信半不信にして無道心なるが故なり。さればかゝる事を猒ひて善知識の邊を離れて、片陰(かたかげ)に閑眠(かんみん)せんと云ふ心の付きたらば、大魔王の心中に依託(えたく)せりと知りて、僅に一念も萌(きざ)さば、敵を去るが如く拂ひ除くべし。拙きかな、受け難き人身(にんしん)を受けて、聞き難き教法を聞き、遇ひ難き善知識にあへり。然るに只(たゞ)身の安からん事をのみ求め、適(たまたま)家を出づと雖も、道を專らにすることなし。一度人身を失ひては万劫を經(ふ)とも歸らず、是如來の誠言なり。豈疑ふことあらんや。日々に志を勵まし、時々に鞭をすゝめて、大願を立て、善知識の足下(そつげ)に頭をつかへて、身命を惜しまずして道行(だうぎやう)を勵ますべし。
[やぶちゃん注:「誠に深切の志を立て」底本「に」の部分空白。諸本で補った。
「悤誼」冷ややかで思いやりがないさま。]
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