芥川龍之介「河童」決定稿原稿 四 岩波芥川龍之介全集後記の誤りを発見せり
■原稿30
〈三〉*四*
僕はだんだん河童の使ふ日常の言葉を覚え
〔て來〕ました。〈実は〉*從つ*て河童の風俗や習慣も〈会得〉*のみ*こめ
る〈と〉*や*うになつて來ました。その中でも一番不
思議だつたのは〈何で〉*河童*は我々人間の眞面目に思
ふ〈もの〉*こと*を可笑しがる、同時に我々人間の可笑
しがる〈もの〉*こと*を眞面目に思ふ―――かう云ふと
んちんかんな習慣です。たとえば我々人間は
正義とか人道とか云ふことを眞面目に思ふ、
しかし河童はそんなことを聞くと、腹をかか
[やぶちゃん注:
●「〔て來〕」この3行目の挿入は律儀に3行目の上部罫外に縦長の一マスを書いて原稿本文と同じ大きさで「て來」と綺麗に書き入れている。]
■原稿31
へて笑ひ出すのです。つまり彼等の滑稽と云
ふ觀念は〈全然〉我々の滑稽と云ふ観念と全然標
準を異にしてゐるの〈せ〉*で*せう。僕は或時〈一匹の
河童と、――《バツクと云ふ名の→僕の最初に會つた》バツクと云ふ
《やつと→河童と》〉*醫者のチヤツクと〈孝行〉*産児制限*の話をしてゐました。すると〈バツ
ク〉*チヤツク*は〈《びつくりするほど》→のけぞつたまま、〉*大口をあいて、〈大きい口をあいて〉*鼻眼金の落ちるほど、*笑
ひ出しました。僕は勿論腹が立ちました〈か〉*か*
ら、何が可笑しいかと詰問しました。何でも
〈バツク〉*チヤツク*の返答は大體かうだつたやうに〈記?〉*覺*えて
ゐます。〈何しろまだその頃は僕も河童の使ふ〉*尤も夛少細かい所は間違つてゐるか*
[やぶちゃん注:
●この原稿の右下の手書き鉛筆の右罫外の右端には、ゴム印と思われる編集者か校正者かの人名ゴム印の一部(?)かとも思われる、
馬
の朱判がある。「■原稿9」のそれは「寺」だった――これは何だろう?――この原稿までは私が見たというサインの一部か? それとも版組や印刷に関わる何らかの記号か? 気になって仕方がない。よろしく識者の御教授を乞うものである。
●ここで我々は意外な事実を知ることになる。この、現行の「河童」で、医師チャックと「僕」によって議論される「産児制限」問題は、プロトタイプは、チャックではなくバックが相手で、しかもそれは「産児制限」問題ではなく、親子の「孝行」の問題であった意実である。確認しよう。初期の成形を成した文章は以下と推定出来るのである(一部の読点は私の判断で打った)。
僕は或時、僕の最初に會つたバツクと云ふ河童と孝行の話をしてゐました。するとバツクはのけぞつたまま、大きい口をあいて笑ひ出しました。僕は勿論腹が立ちましたから、何が可笑しいかと詰問しました。何でもバツクの返答は大體かうだつたやうに覺えてゐます。
「孝行」ならばまだ漁師のバックが相手でも遜色ないが、「産児制限」となると医師のチャックの方が専門性が高く、議論の昂まりが自然に想起出来る。「産児制限」議論ならばもうチャックを相手とするのが至当であろう。しかもこの「産児」に密接に関わる形で直後にまさにバックの妻の出産シーンが用意されており、しかもそこではバックという河童が自分の息子(胎児)にさえ父として拒否されるような情けない一面を持っていることが暴露されてしまうことを考えると、その直前に「産児制限」を議論する相手が、他ならぬそのバックであるというのでは、語るに落ちた馬鹿話になってしまうのである。ただ、ここで我々は原型の『バック』とのそれが「孝行」の議論であったことを記憶しておかなくてはならない。これについては次の原稿「■32」の台詞と相俟って、深い別な意味を持ってくるからである。]
■原稿32
も知れません。何しろまだその頃は僕も河童
の使ふ言葉をすつかり理解してゐなかつた
のですから。
「しかし〔兩〕親の都合ばかり考へてゐるのは可笑
しいですからね。〈」〉どう〈《考へ》→も滑稽〉*も餘り手前*勝手です〔から〕ね。」
その代りに我々人間から見れば、實際又河
童のお産位、可笑しい〔もの〕はありません。現に僕
は〈バツクの細〉*暫くたつて*から、バツグの細君のお産をす
る所を〈わざわざ見物に出かけ〉*バツグの小屋へ見物に行き*ました。河童も
〔お産をする時〔に〕は我々人間と〕〈お?〉*同*じことです。やはり医者や産婆などの助け
[やぶちゃん注:
●台詞とその直後の部分の最初期の芥川の脳内の原型を復元してみる。
「しかし親の都合ばかり考へてゐるのは可笑しいですからね。」
その代りに我々人間から見れば、實際又河童のお産位、可笑しいものはありません。現に僕はバツクの細君のお産をする所をわざわざ見物に出かけました。
私は何故、この原型を示したのか? それは、この台詞なら、当初、芥川が想定していたバック(チャックとではない!)との「孝行」の問題(産児制限のではない!)の議論の果てのバックの(チャックのではない!)答えとして、おかしくないからである! その証拠に直後で、この原型案ではバック自身は、その台詞通りの、子の都合から考えた新しい「孝行」の形を一つの理由として掲げているのであると私は思うのである。何故、誕生拒否が「孝行」と言い得るか? 簡単である。胎児が語るように、彼が遺伝性の精神病発症や胎児性梅毒感染のリスクあったとすれば、もしかすると生まれてから親に迷惑をかけるかも知れない。従って「産児制限」という純然たる「滑稽」で「餘り手前勝手な」「親の都合」とい短期的観点からではなく、「孝行」という中長期的観点から言えば、誕生を拒否することは、これ――立派な河童世界的「孝行」――と言えるではないか! この牽強付会的な私のトンデモ説、大方の御批判を俟つものではあるが、私は万事が人間世界とは反定立的で天邪鬼な論理から出来上がっている『河童世界の哲学』に則って考えていることもお忘れになられぬように――。
●「〔お産をする時〔に〕は我々人間と〕」これは実は10行目の左罫外に吹き出しで挿入されているものである。実は今回、本原稿をざっと管見した際、大きな疑問が一つあった。それは、岩波旧全集版の「河童」の「後記」にある異同表との大きな齟齬であった。そこではこの部分について、
《引用開始》
・三一五頁4行 河童もお産をする時には我々人間と同じことです。――(原)河童も同じことです。
《引用終了》
これは見てお分かり頂けるものと思うが、岩波旧全集は初出の『改造』を底本として、本国立国会図書館蔵の自筆原稿(但し、現物ではなく昭和四七(一九七二)年中央公論社発行の複製版らしい)と『改造』切抜への著者訂正書入れを参照して校訂本文が作られてある(初出+自筆決定原稿+初出公開後の著者による更なる訂正書入れというのは殆んど望みえない至高の校訂素材であると言える)のだが、この異同注記は
『改造』初出には、『河童もお産をする時には我々人間と同じことです。』とあるが、自筆原稿は、ただ、『河童も同じことです。』とあるだけである
と言っているのである。
これは頗るおかしいのだ。
国立図書館蔵の「国立国会図書館デジタル化資料」の自筆原稿の国立国会図書館デジタルライブラリーのコマ番号「18」コマ目を視認して戴きたい。ちゃんと左上罫外のナンバリング「32」の直下に
『お産をする時には我々人間と』
はあるのである。
どういうことか?
以下は、私の推理である。
この国会図書館蔵の原稿をよく見て戴きたい。
原稿の左(右頁では右)に6つもの穴が開いているのが分かる(撮影時の平面化のために綴じ紐は外され、散佚の危険を避けるために一番上の穴一箇所に緩く綴じ紐が通されてあるだけである)。同資料を「1」コマ目に移して戴くと分かるが、表紙には和装用の穴は通常通り4つしか開いていない。ところが本文原稿用紙には総て6つの穴が開いている。この穴の内、上から1番目と3・4・6番目が和装用の表紙の穴である。ということは、この原稿はもしかすると残る2・5番目の穴部分に綴じ紐が通されて本体原稿総て(105コマ目の最後の原稿用紙に書かれた永見の「縁起」というのは、画像を見る限りでは本体とは別で、和装の裏表紙の右手に台紙を設け、そのそれと裏表紙の上に原稿を張り付ているように見える)が閉じられていた可能性を示唆する。仮にそうだとすると、それに加えて表紙の通常の4箇所の穴を用いた和綴じがなされていた場合、この「18」コマ目の左側の罫外挿入の部分は、このデジタルライブラリー版のように総ての綴じ紐を外さないと読めないことが分かる。私は旧全集編者が参照したという中央公論社発行の複製版を見たことがないが、それはもしかすると、和装で閉じられたままのものを画像化したのではなかったか? その結果、原稿「32」と「33」の『のど』の部分(本の各頁が背に接する部分)が殆んど全く開かず、「32」の左罫外の挿入吹き出しが全く写っていなかったのではなかろうか? 中央公論社発行複製版を所持される方、是非、ここの部分を現認して頂き、出来れば画像を私宛に送って下さると、恩幸、これに過ぎたるはない。よろしくお願い申し上げる次第である。]
■原稿33
を借りてお産をするのです。けれどもお産を
するとなると、父親は電話でもかけるやうに
母親の生殖噐に口をつけ、「お前はこの世界へ
生れて來るかどうか、よく考へた上で返事
をしろ。」と大きな聲で尋ねるのです。バツグも
やはり膝をつきながら、何度も繰り返してか
う言ひました。それからテエブルの上にあつ
た消毒〈剤〉*用*の水藥で嗽ひをしました。すると
細君の腹の中の子は〈■〉夛少氣兼〈をするやうに
かう言つ〉*でもしてゐると見え、*かう小聲に返事をしました。
[やぶちゃん注:
●「母親の生殖噐に口をつけ、」は初出『改造』では、
母親……………つけ、
と五文字分が15点リーダの伏字になっている(因みに、当時の検閲官が律儀に伏字にした文字数が何字であるかわかるように伏字にしているところが、実は検閲者の検閲への後ろめたさを如実に示しているようでとても面白いと思う。否――これはよく言われることであるが――寧ろ、伏せることによって性的妄想が異常に拡張され、猥雑性が倍加するとも言えるのだと私は確信している。検閲者とはまさに真正の性的倒錯者なのである。]
■原稿34
「僕は生れたくはありません。〈元?〉*第*一僕のお
父さんの遺傳は〈黴毒〉*精神病*だけでも大へんです。そ
の上僕は河童的存在を惡いと信じてゐますか
ら。」
バツグはこの返事を聞いた時、てれたやう
に頭を搔いてゐました。が、そこにゐ合せた
産婆は忽ち細君の生殖噐へ太い硝子の管を突
きこみ、何か液体を注射しました。すると〈忽
ち細君の原は水素瓦斯を拔いた風船のやうに
へたへたと縮んでしまひました。 〉
[やぶちゃん注:
●「〈元?〉*第*」抹消字を「元」としたが、「第」の略字である「㐧」かも知れない。
●「僕は生れたくはありません。〈元?〉*第*一僕のお父さんの遺傳は〈黴毒〉*精神病*だけでも大へんです。その上僕は河童的存在を惡いと信じてゐますから」私は既に『芥川龍之介「河童」やぶちゃんマニアック注釈』でこの胎児の台詞について注釈を施している。特に原稿上で「黴毒」から「精神病」へと変えられている点について考察しているので、ここにそれをそのまま引用しておくのが最も相応しいと思う。
《引用開始》
芥川龍之介が養子に出された原因でもある実母フクの精神異常は頓に知られ、芥川龍之介の自殺の原因の一つに遺伝による精神病発症(発狂)恐怖が挙げられるほどである。私は実は、フクの病状は遺伝が疑われるような精神病であったとは思われず、芥川のそれは所謂、精神病に対するフォビアに起因するノイローゼであったと考えている。「點鬼簿」の「一」の冒頭及び「序」の注に引用した「或阿呆の一生」の「母」等を参照されたい。但し、この部分、原稿では「黴毒」としたものを「精神病」と訂しているとあり、そうすると胎児が言う精神病は先天性梅毒による進行麻痺(麻痺性痴呆)のリスクを言っており、バックは梅毒に罹患していることを意味する。それが真相だと考えた時、私はバックが「てれてように頭を掻いてゐ」た理由が腑に落ちるのである(若き日に「河童」を読んだ時から、私は遺伝性精神病を言われて照れるバックが如何にも変に感じられたのである)。ここで彼が梅毒を書き換えたのは、芥川自身のフォビアの規制であると私は思う。だからおかしなままに残ってしまったのだと思う。これは「五」の注で、後に明らかにする。ともかくもこの胎児は真正の厭世主義者である。胎内性先天性梅毒に罹患していた場合、胎児梅毒では当初から奇形であったり、母体内で胎児水腫を発症、死産・流産・生後早期の死亡の可能性が高い。出産後の発症となる乳児梅毒では生後一ヶ月頃に鼻炎や皮膚発疹が始まって骨変形が出現、四肢運動の有意な低下が見られるようになる。それよりも後になって発現するタイプ(遅延梅毒)では学童・思春期に発症が始まり、骨・皮膚・粘膜・内臓等広範囲に病変が認められるようになる。かつては罪なき多数のこうした悲惨な子供たちがこの世に生を受けた。
《引用終了》
『「五」の注で、後に明らかにする』というのは詳しくは『芥川龍之介「河童」やぶちゃんマニアック注釈』の「五」の当該注(「僕は超人(直譯すれば超河童です。)だ」の注)を読んで頂きたいが、簡潔に述べると、芥川には、哲学者ニーチェに強い関心のあったのは、その超人哲学もさることながら、その狂気、ニーチェ自身の梅毒による早発性痴呆による発狂をも含む興味であったこと、そして私は芥川の最大の関心――恐怖(フォビア)――こそ、この梅毒による発狂にこそあったと睨んでいることを指す。
●「細君の生殖噐へ」は初出『改造』では、
細君の………へ
と三文字分が9点リーダの伏字になっている。]
■原稿35
細君はほつとしたやうに太い息を洩らしまし
た。同時に又〈《細君》→盛り上つてゐ〉*今まで大きかつ*た腹は水素瓦斯を
拔いた風船のやうにへたへたと縮んでしまひ
ました。
かう云ふ返事をする位ですから、〈勿論〉河童の子
供は生れるが早いか、勿論歩いたりしやべつたりするのです。何でも〈バツク〉*チヤツク*の話では出
産後二十六日目に神の有無に就いて講演をし
た子供もあ〈る〉*つ*たとか云ふことです。尤もその
子〈供〉*供*は二月目には〈自殺し〉*死ん*で〔し〕まつたと云ふこと
[やぶちゃん注:
●芥川は現行の「四」章の前半シークエンスを、当初、殆んど完全にバックと掛け合いとしようとしていたことが分かる。「僕」の(芥川の)バックへの親近感は我々が想像する以上に深いのである。此のバックが誰をモデルにしているのか、未だに私は推理出来ずにいる(「河童」の登場人物及び登場河童のモデル同定に興味のある方は私の『芥川龍之介「河童」やぶちゃんマニアック注釈』の冒頭に配した「登場河童一覧〈例外として獺一匹を含む。「登場人物」も前に附した〉」を参照されたい)。]
■原稿36
ですが。
お産の話をした次手ですから、僕がこの国
へ來た三月目に偶然或街の角(かど)で見かけた、大
きいポスタアの話をしませう。その大きいポ
スタアの下には喇叭を吹いてゐる河童だの劍
を持つてゐる河童だのが十二三匹描いてあり
ました。それから又上には河童の使ふ、丁度
時計のゼンマイに似た螺旋文字が一面に並べ
てありました。この螺旋文字を飜訳すると、
大体かう云ふ意味になるのです。これ〈《は》→も〉*も*或は
細かい所は間違つてゐるかも
■原稿37
知れません。が、兎に角僕としては僕と一し
よに歩いてゐた、ラツプと云ふ河童の學生が
大聲(おほごゑ)に読み上げてくれる〈の〉*言葉*を〈そのまま〉*一々ノオ*トにと
つて置いたのです。
遺傳的義勇隊を募る!!! 健全なる男女の河童よ!!! 悪遺傳を撲滅する爲に 不健全なる男女の河童と結婚せよ!!! |
僕は勿論その時〔に〕もそんなことの行はれない
ことをラツプに話して聞かせました。〈ラツプ〉すると
[やぶちゃん注:
●「遺傳的義勇隊を募る!!!/健全なる男女の河童よ!!!/悪遺傳を撲滅する爲に/不健全なる男女の河童と結婚せよ!!!」の全四行が四角に囲まれている。上辺は1マス目の下線部で4と5行目の及び8と9行目の行間部を含み、同じ範囲で下辺が18下マス目下線(下から2マス目の上線)――8行目の「……結婚せよ!!!」の一字下である――に、その左右を立てに降ろして繋げた長方形の枠である。ブログでは文字サイズ「中」で閲覧して頂ければ私が望んだ形に近いものが視認出来る。]
■原稿38
ラツプばかりでは〈あ?〉ない、ポスタアの近所にゐ
た河童は悉くげらげら笑ひ出しました。
「行はれない? だつてあなたの話ではあな
たがたもやはり我々のやうに行つてゐると思
ひますがね。あなたは令息が女中に惚〈れ〉*れ*た
り、令孃が運轉手に惚れた〈り〉*り*するのは何の爲
だと思つてゐるのです? あれは皆無意識的
に惡遺傳を撲滅してゐるのですよ。第一この
間あなたの話したあなたがた人間の義勇隊よ
りも、―――一本の鐵道を奪ふ爲に互に殺し合
ふ義勇隊ですね、―――ああ云ふ義勇隊に比べ
れば、ずつと〈髙〉僕たちの義勇隊は髙尚では
ないかと思ひますがね。」
ラツプは眞面目にかう言ひながら、しかも
太い腹だけは可笑しさうに絶えず浪立たせて
ゐました。〈が、僕〉*が、僕*は笑ふどころか、慌
てて或河童を摑まへようとしました。それは
僕の油斷を見すまし、その河童〈が〉*が*僕の〈銀時計〉*萬年筆*
を盜んだことに気がついたからです。しかし
〈滑かな河童の皮膚に〉*皮膚の滑かな河童*は容易に我々には摑まり
[やぶちゃん注:
●「萬年筆」ここで「銀時計」としたのを訂して以降、この盗まれたものは総て原稿では「銀時計」を「萬年筆」と訂されている(最終登場は「十二」章「■原稿124」)。少なくともそこまで書いた後にこの改訂を行っていることが分かる。何故、「萬年筆」を「銀時計」としたのか? 盗んだ河童は「十二」の警察官の訊問で盗品を「子供の玩具にしようと思つたのです。」と述べている。万年筆より銀時計の方が圧倒的に子どもは喜ぶであろうとは思う。ただ、そうした論理性よりも、「僕」がまさに人間界の時間を忘れ去って、河童世界の時間の中に生きるためには、この人間界の拘束を象徴するところの「時計」は盗まれなくてはならなかったのではないか? と私は考えたりするのである。大方の御批判を俟つものである。]
■原稿40
ません。その河童もぬらりと辷り〈拔と〉*拔*けるが
早いか一散に逃げ出してしまひました。丁
度蚊のやうに瘦せた体を〈ちらり〉*倒れる*かと思ふ位の
めらせながら。
[やぶちゃん注:以下、6行空白。]