南方熊楠による黒猫の話関連二篇 + やぶちゃんの大脱線注「レンデルシャムの森」事件
南方熊楠による黒猫の話関連二篇
〇 田辺で黒き猫を腹に載すれば、癪(しゃく)を治すと言う。明和頃出版?『壺菫』という小説に、鬱症(きやみ)の者が黒猫を畜(か)うと癒る、とあった。予がかつてドイツ産れのユダヤ人に聞きしは、鬱症に黒猫最も有害だ、と。また猫畜う時年期を約束して養(か)うと、その期限尽くればどこかへ去る。また猫長じて一貫目の重量(めかた)に及べば祝う。いずれも田辺の旧習なり。
[やぶちゃん注:「南方随筆」の「紀州俗伝」の「二」の掉尾。末に「(大正二年五月『郷土研究』一巻三号)』とある。
「壺菫」源温故(未詳)作寛政六(一七九四)年板行になる怪談読本。後に「怪談※(このごろ)草子」(「※」=「日」+「頃」)に、次いで「奇談情之二筋道」と改題されている。その「巻之三」の「梅の下風」の中で、主人公に密かに恋する上﨟の娘が、
何となく心あしきとて、しかしか物もまいらず、なやみかちにて、髮(かみ)なと取あくるも物うげにのみし給へば、ふたおやいたうあんじて、「かゝるとしのほどは、氣(き)のむすほゝれ、ろうかひなといふ病(やまひ)のいでくる物也。少(すこ)しあたゝかにもなりなば、野邊(のへ)へともなひ、若菜(わかな)なとつみ侍らば、をのづから心(こゝろ)よくなり侍らん。かゝる人には黑(くろ)き猫(ねこ)こそよけれときゝし。もとめて朝夕(あさゆふ)手(て)なれさせよ。……
とあって、主人公の男の飼っていた猫を譲るというシーンが出てくる(引用は国書刊行会二〇〇〇年刊高田衛監修「江戸怪異綺麗想文芸大系1 初期江戸読本怪談集」に拠ったが恣意的に正字化、踊り字「〱」は正字とした)。「ろうかひ」は労咳。]
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黒猫で癪を治す(三号一七五頁)
黒猫は癪(しゃく)や鬱症(きやみ)を癒すと、本邦で言うにドイツ生れのユダヤ人は、鬱症に黒猫最も有害だ、と予に語った。しかしこの一事をもって、西洋で一汎に猫を病人に有害とすと言う訳に往かぬ。その証(しるし)は一八九五年六月の『フォークロール』に出た、グルーム博士の英国サッフォーク州の俗医方の中に喘息を病む者、ネコを畜い愛翫すると喘息猫に移り、ついに死ぬが、病人は全く治る、とある。
[やぶちゃん注:大正一五(一九二六)年十一月岡書院刊「続南方随筆」の「『郷土研究』一至三号を読む」の「三」より。「三号一七五頁」はまさに前掲の「南方随筆 紀州俗伝 二」の掉尾の初出を指す。
「英国サッフォーク州」ロンドンの東北約一〇〇キロメートル、イギリスのイースト・オブ・イングランド地方に位置する行政州サフォーク(Suffolk)。但し、一八八九年~一九七四年までは東サフォーク州と西サフォーク州に分割されていた。――【注意! 以下は学術的に南方論文に興味があってここに来られた方、UFOに全く関心がない方はお読みになる必要がありませんが、相応に面白いとは存じます。】――全く関係ないが大脱線だが、この州の名はUFOに魅せられたことのある御仁ならば即座に次の事件を思い出されるに違いない。一九八〇年の暮、サフォーク州ウッドブリッジ駐留米軍空軍基地司令官が秘密裏に近くのレンデルシャム(Rendlesham)の森(かねてよりしばしばUFOの目撃があった)で宇宙人と会見したとする、英国版ロズウェル事件と騒がれた「レンデルシャムの森事件」である。個人ブログ「実録!!ほんとにあった(と思う)怖い話」の三回連続の「レンデルシャム事件」が、侮れない科学的な(それでいてすこぶる分かり易い)緻密な考証で真相を暴いているので、あの事件への根っからの懐疑派には必読である。一方、この事件にやはり裏の隠された真相を期待される向きには、ユウ様のブログ「ホーエンシュタウフェン」のカテゴリ「UFO」が本事件をメインに書いておられて、画像満載、十二分に楽しめる。超、お薦め!――少し民俗学的にインキ臭い方に戻るなら――このレンデルシャム近辺には七世紀アングロサクソン時代の船葬墓サットン・フーがあったり、何より、M.R.ジェイムズの怪談「猟奇の戒め」(“A Warning to the Curious”)の中に、この地を治めていたサクソン王家によって欧州諸外国の侵入を防ぐための結界として三つの王冠が埋められ、そのうちの一つだけが今もどこかに埋められているという伝承を語る牧師の台詞の中に、『この地方のことを書いたガイドブックや歴史の本を見ると一六八七年レンドルシャムで、イースト・アングリアの王レッドウォルドの宝冠が発掘されたとありますが、なんとそれは記録にとどめられるまえに鋳つぶされてしまったというのですよ。レンドルシャムは海岸線に沿った場所ではありませんが、それほど離れてもいず、敵がこの土地へ上陸する場合、いわば中枢といった場所でしてな。わたしは、それが例の宝冠の一つだったに相違ないと見ております』(東京創元社「M.R.ジェイムズ傑作集」紀田順一郎訳より。「レンドルシャム」はママ。初期のUFO報道でもこの表記が見られたと記憶する。話はその後、この宝冠を掘り起こそうとすた罰当たり連中が恐るべき魔物に惨殺されるカタストロフで終る)と出てくるのだ。私は遅まきながら一九九二年にこのジェイムズの短編を読んだのだが、この「レンドルシャム」の地名を見て、思わず釘付けになったものだった。原初的無意識の象徴的産物として「空飛ぶ円盤」を考察したユングなら、悦んで飛びつきそうではないか!――鏡花の「沼夫人」じゃあないが――「この森は可怪(あや)しいな。」――]