栂尾明恵上人伝記 38 詩賦風流の面白さは修行の妨げ
又上人語りて云はく、我れ先師の命に依りて、十八歳まで詩賦を稽古して風月に嘯(うそぶ)きしに、其の興味深くして他事を忘るる程なりき。然る間、自ら非を知りて、此の道を打ち捨ててき。然れども雪月の節(せつ)に引かれて、時々胸に浮べども取合(とりあひ)て一首を作ることは稀なりきと。
其の年の秋、一人の比丘尼願を發して、此の山寺にして二十口(く)の僧侶を屈して、四十華嚴經一部如法(によはふ)書寫の行を始む。其の寫功(しやこう)巳に畢つて、上人啓白(けいびやく)あり。法華如法經は古より今に絶えず。華嚴經如法書寫本朝に未だ之を聞かず。大唐の傳記には多く見えたり。修德禪師精懃(せいごん)して書寫せしかば、開講の日其の經光を放ちて七十里を照すと云々。
[やぶちゃん注:「其の年」底本には右に『(貞應年中)』という編者傍注がある。]
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