凧きのふの空の有りどころ 蕪村 萩原朔太郎 (評釈)
凧(いかのぼり)きのふの空の有りどころ
北風の吹く冬の空に、凧が一つ揚つて居る。その同じ冬の空に、昨日もまた凧が揚つて居た。蕭條とした冬の季節。凍つた鈍い日ざしの中を、悲しく叫んで吹きまく風。硝子のように冷たい靑空。その靑空の上に浮んで、昨日も今日も、さびしい一つの凧が揚つて居る。飄々として唸りながら、無限に高く、穹窿の上で悲しみながら、いつも一つの遠い追憶が漂つて居る!
この句の持つ詩情の中には、蕪村の最も蕪村らしい郷愁とロマネスクが現はれて居る。「きのふの空の有りどころ」という言葉の深い情感に、すべての詩的内容が含まれて居ることに注意せよ。「きのふの空」は既に「けふの空」ではない。しかもそのちがつた空に、いつも一つの同じ凧が揚つて居る。即ち言えば、常に變化する空間、經過する時間の中で、ただ一つの凧(追憶へのイメーヂ)だけが、不断に悲しく寂しげに、穹窿の上に実在しているのである。かうした見方からして、この句は蕪村俳句のモチーフを表出した哲學的標句として、芭蕉の有名な「古池や」と對立すべきものであらう。尚「きのふの空の有りどころ」といふ如き語法が、全く近代西洋の詩と共通するシンボリズムの技巧であつて、過去の日本文学に例のない異色のものであることに注意せよ。蕪村の不思議は、外國と交通のない江戸時代の日本に生れて、今日の詩人と同じやうな歐風抒情詩の手法を持つて居たといふことにある。
[やぶちゃん注:昭和一一(一九三六)年第一書房刊「郷愁の詩人與謝蕪村」の「冬の部」の巻頭。初出の『生理』の「5」(昭和一〇(一九三五)年二月刊)では(異同部下線はやぶちゃん)、
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即ち言えば、常に變化する空間、經過する時間の中で、ただ一つの凧(追憶へのイメーヂ)だけが、不断に悲しく寂しげに、穹窿の上で実在しているのである。
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蕪村の不思議は、外國と交通のない江戸時代の日本に生れて、今日の詩人と同じやうな歐風抒情詩のポエヂイや手法を持つて居たといふことにある。
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となっている。
私の好きな一句であり、芥川龍之介はこの句を、
木がらしや東京の日のありどころ
とインスパイアしている(と私は思う)。]
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