教え子のノート
先週の土曜、横浜緑ヶ丘時代の最後の担任だった8年前の教え子のI君とO君二人と快飲した。O君がやおらカバンから取り出したのは……僕の現代文の授業のノートだった。そこには既に僕は野人になるに際して、すべて廃棄してしまった「山月記」や「こゝろ」が、プリントも含め、しかも僕が口頭で述べた脱線に至るまで書かれてあった……思わず僕はうるうるとなったことを告白しておく……
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