芥川龍之介「河童」決定稿原稿 十一
■原稿113(114)
十一
[やぶちゃん注:「十一」は4字下げ。本文は2行目から。以下の「×」(初出及び現行では「*」である)は5字下げ。]
これは哲學者のマツグの書いた「阿呆の言葉」
の中の〈数節〉*何章(なんしやう)*かです。――
×
阿呆はいつも彼以外のものを阿呆であると信じてゐる。
×
我々の〈天〉*自*然を愛するのは自然は我々を憎ん
だり嫉妬したりしない爲もないことはない。
■原稿114(115)
×
最も賢い生活は一時代の習慣を軽蔑しなが
ら、しかもその〔又〕習慣を〔少しも〕破らないやうに暮らす
ことである。
×
我々の最も誇りたいものは我々の持つてゐ
ないものだけである。
×
何びとも偶像を破壞することに異存(いぞん)を持つ
てゐるものはない。同時に又何びとも偶像に
なることに異存を持つてゐるものはない。し
■原稿115(116)
かし偶像の台座の上(うへ)に安んじて〈ゐられ〉*坐つて*ゐられるも
のは最も神々に惠ま〈ま〉れたもの、―――阿呆か、
悪人か、英雄かである。(クラバツクはこの章
の上へ爪(つめ)の痕(あと)をつけてゐました。)
×
我々の生活に必要な思想は三千年前に盡き
たかも知れない。我々は唯古い〈《思想》→薪〉*薪(たきぎ)*に新らし
い炎(ほのほ)を加へるだけであ〈る。〉*らう。*
×
我々の特色は我々自身の意識を超越するの
[やぶちゃん注:前の原稿と繋がらない。初出及び現行は、前の「■原稿114(115)」の「し」を受けて、
しかし偶像の……
と続く。ゲラで訂されたものか。]
■原稿116(117)
を常としてゐる。
×
幸福は苦痛を伴ひ、平和は倦怠を伴ふとす
れば、―――?
×
自己を弁護することは他人を弁護すること
よりも困難である。疑ふものは弁護士を見よ。
×
矜誇(ぎんこ)、愛慾、疑惑―――あらゆる罪は三千
年來、この三者から発してゐる。同時に又〔恐らくは〕あ
[やぶちゃん注:「矜誇(ぎんこ)」の読みはママ。初出及び現行は、
矜誇(きんこ)
である。「矜」の音は「キヨウ(キョウ)/キン・ゴン/クワン(カン)」であり、「ギン」という音はないから芥川の誤記と考えてよい。しかしこの初出と現行の読みも実は一般的ではないのである。これは辞書を見ても「きようこ(きょうこ)」か「きようくわ(きょうか)」(「か」は「誇」の漢音)であって「きんこ」ではない(意味は「矜」「誇」ともに、ほこる、で、誇ること、自慢すること、いばることの意である)。私は秘かに――これは芥川龍之介のみならず、驚くべきことに文選工も植字工もゲラ校正担当者も全員、「矜」という字を「衿」という字と誤って「きん」「ぎん」(但し、「衿」も「キン・コン」で「ギン」という音はない)と読んでいるのではないか?――と疑っているのである。大方の御批判を俟つものであるが、いずれにせよ、ここの読みは「きようこ」とするべきであると私は思う。]
■原稿117(118)
らゆる德も。
×
〈平和は〉物質的欲望を〈■〉*減*ずることは必しも平
和を齎さない。〔我々は〕平和を得る爲には精神的欲望
も減じなければならぬ。(クラバツクはこの章
の上にも爪の痕を殘してゐました。)
×
我々は人間よりも不幸である。人間は〈我々〉*河童*
ほど進〈歩〉*化*してゐない。(僕はこの〈一〉章を讀んだ
時、〈笑〉*思*はず〈微〉*笑*つてしまひました。)
[やぶちゃん注:「物質的欲望を〈■〉*減*ずることは」この抹消字は(てへん)である。これを「持」と措定して推測するなら、芥川はもしかすると、最初、
平和は物質的欲望を持つ
或いは、
平和は物質的欲望を持たない
といったコンセプトで書こうとしたのではなかったか?
●「僕はこの〈一〉章を讀んだ時、〈笑〉*思*はず」は初出及び現行では、
僕はこの章を讀んだ時思はず
と、読点がない。ここは原稿通りに読点を打つべきである。]
■原稿118(119)
×
成すことは成し得ることであ〈る。〉*り、*成し得る
ことは成すことである。〔畢竟〕我々の生活はかう云
ふ〈盾〉*循*環論法を脱することは出來ない。―――
即ち不合理に終始してゐる。
×
ボオドレエルは〈彼の人生観を〉*白痴になつた*後、彼の人生
観をたつた一語に、―――女陰の一語に表〈■〉*白*し
た。〈それは〉*しかし*彼自身を語るものは必しもかう言
つたことではない。寧ろ彼の天才に、―――彼
■原稿119(120)
の生活を維〈持〉*持*するに足る詩的天才に信賴した爲
に胃袋の一語を忘れたことである。(この章に
もやはりクラバツクの爪の痕は残つてゐまし
た。)
×
若し理性に終始するとすれば、我々は〔当然〕我々
〔自身〕の存在を否定しなければならぬ。〈ヴォ〉理性を神
にしたヴォルテェエルの幸福に一生を了つたのは
即ち人間の河童よりも進化してゐないことを
示すものである。
[やぶちゃん注:余りの行なしで本章終わり。
●「〈ヴォ〉」促音表記はママ。
●「ヴォルテェエル」はママ。初出及び現行は普通に、
ヴオルテエル
である。]
« 生物學講話 丘淺次郎 第九章 生殖の方法 ミミズ及びヒル | トップページ | 耳鳴りに飽きたから寝ることにする »