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2013/06/24

芥川龍之介「河童」決定稿原稿 十一

■原稿113(114)

    十一

 

[やぶちゃん注:「十一」は4字下げ。本文は2行目から。以下の「×」(初出及び現行では「*」である)は5字下げ。]

 

 これは哲學者のマツグの書いた「阿呆の言葉」

の中の〈数節〉*何章(なんしやう)*かです。――

     ×

 阿呆はいつも彼以外のものを阿呆であると信じてゐる。

     ×

 我々の〈天〉**然を愛するのは自然は我々を憎ん

だり嫉妬したりしない爲もないことはない。

 

■原稿114(115)

     ×

 最も賢い生活は一時代の習慣を軽蔑しなが

ら、しかもその〔又〕習慣を〔少しも〕破らないやうに暮らす

ことである。

     ×

 我々の最も誇りたいものは我々の持つてゐ

ないものだけである。

     ×

 何びとも偶像を破壞することに異存(いぞん)を持つ

てゐるものはない。同時に又何びとも偶像に

なることに異存を持つてゐるものはない。し

 

■原稿115(116)

かし偶像の台座の上(うへ)に安んじて〈ゐられ〉*坐つて*ゐられるも

のは最も神々に惠ま〈ま〉れたもの、―――阿呆か、

悪人か、英雄かである。(クラバツクはこの章

の上へ爪(つめ)の痕(あと)をつけてゐました。)

     ×

 我々の生活に必要な思想は三千年前に盡き

たかも知れない。我々は唯古い〈《思想》→薪〉*薪(たきぎ)*に新らし

い炎(ほのほ)を加へるだけであ〈る。〉*らう。*

     ×

 我々の特色は我々自身の意識を超越するの

[やぶちゃん注:前の原稿と繋がらない。初出及び現行は、前の「■原稿114(115)」の「し」を受けて、
 しかし偶像の……
と続く。ゲラで訂されたものか。]

 

■原稿116(117)

を常としてゐる。

     ×

 幸福は苦痛を伴ひ、平和は倦怠を伴ふとす

れば、―――?

     ×

 自己を弁護することは他人を弁護すること

よりも困難である。疑ふものは弁護士を見よ。

     ×

 矜誇(ぎんこ)、愛慾、疑惑―――あらゆる罪は三千

年來、この三者から発してゐる。同時に又〔恐らくは〕あ

[やぶちゃん注:「矜誇(ぎんこ)」の読みはママ。初出及び現行は、

 矜誇(きんこ)

 

である。「矜」の音は「キヨウ(キョウ)/キン・ゴン/クワン(カン)」であり、「ギン」という音はないから芥川の誤記と考えてよい。しかしこの初出と現行の読みも実は一般的ではないのである。これは辞書を見ても「きようこ(きょうこ)」か「きようくわ(きょうか)」(「か」は「誇」の漢音)であって「きんこ」ではない(意味は「矜」「誇」ともに、ほこる、で、誇ること、自慢すること、いばることの意である)。私は秘かに――これは芥川龍之介のみならず、驚くべきことに文選工も植字工もゲラ校正担当者も全員、「矜」という字を「衿」という字と誤って「きん」「ぎん」(但し、「衿」も「キン・コン」で「ギン」という音はない)と読んでいるのではないか?――と疑っているのである。大方の御批判を俟つものであるが、いずれにせよ、ここの読みは「きようこ」とするべきであると私は思う。]

 

■原稿117(118)

らゆる德も。

     ×

 〈平和は〉物質的欲望を〈■〉**ずることは必しも平

和を齎さない。〔我々は〕平和を得る爲には精神的欲望

も減じなければならぬ。(クラバツクはこの章

の上にも爪の痕を殘してゐました。)

     ×

 我々は人間よりも不幸である。人間は〈我々〉*河童*

ほど進〈歩〉**してゐない。(僕はこの〈一〉章を讀んだ

時、〈笑〉**はず〈微〉**つてしまひました。)

[やぶちゃん注:「物質的欲望を〈■〉**ずることは」この抹消字は(てへん)である。これを「持」と措定して推測するなら、芥川はもしかすると、最初、

 平和は物質的欲望を持つ

或いは、

 平和は物質的欲望を持たない

といったコンセプトで書こうとしたのではなかったか?

●「僕はこの〈一〉章を讀んだ時、〈笑〉**はず」は初出及び現行では

 僕はこの章を讀んだ時思はず

と、読点がない。ここは原稿通りに読点を打つべきである。]

 

■原稿118(119)

    ×

 成すことは成し得ることであ〈る。〉*り、*成し得る

ことは成すことである。〔畢竟〕我々の生活はかう云

〈盾〉**環論法を脱することは出來ない。―――

即ち不合理に終始してゐる。

     ×

 ボオドレエルは〈彼の人生観を〉*白痴になつた*後、彼の人生

観をたつた一語に、―――女陰の一語に表〈■〉**

た。〈それは〉*しかし*彼自身を語るものは必しもかう言

つたことではない。寧ろ彼の天才に、―――彼

 

■原稿119(120)

の生活を維〈持〉**するに足る詩的天才に信賴した爲

に胃袋の一語を忘れたことである。(この章に

もやはりクラバツクの爪の痕は残つてゐまし

た。)

     ×

 若し理性に終始するとすれば、我々は〔当然〕我々

〔自身〕の存在を否定しなければならぬ。〈ヴォ〉理性を神

にしたヴォルテェエルの幸福に一生を了つたのは

即ち人間の河童よりも進化してゐないことを

示すものである。

[やぶちゃん注:余りの行なしで本章終わり。

●「〈ヴォ〉」促音表記はママ。

●「ヴォルテェエル」はママ。初出及び現行は普通に、

 ヴオルテエル

である。]

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