中島敦漢詩全集 十五
十五
日曜所見
落葉空林徑
相逢碧眼孃
嬌嫣牽狗去
猶薰素馨香
○やぶちゃんの訓読
落葉 空林の徑(こみち)
相ひ逢ふ 碧眼の孃
嬌嫣(けいえん)として狗(いぬ)を牽きて去んぬ
猶ほ素馨香(そけいかう)の薰んずるがごとし
〇T.S.君原案(一部は藪野補筆)の中国語を踏まえた語釈
・「空林」悉く落葉した林。
・「碧眼」ここでは白色人種の青い瞳を指す。
・「孃」ここでは年若い女性を指す。
・「嬌嫣」「嬌」は愛くるしい。「嫣」は容貌が美しい。従って、美しく愛くるしいさま。
・「狗」犬。
・「猶」「~のようである」との意の他に、「いまだに」との意がある。この詩では前者の意で捉えることもできるが、読者に陶酔をもたらす詩の余韻が増幅されることを期待し、敢えて「いまだに残り香が漂っている」というニュアンスを大幅に意識したい。
・「薰」「草花の香り」という名詞的用法もあるが、動詞として「熏」と同音同義で用いられることもある。すなわち、いぶすこと、鼻をつくこと。ここでは動詞として解釈し、「香る」という意に捉えたい。
・「素馨」ソケイ、別名ジャスミン。なお、現代中国語で花の名としてのジャスミンは「茉莉花」である。
〇T.S.君による現代日本語訳
ある日曜の邂逅
幹と枝だけの疎林に冬陽が射し込む キラキラと――梢に透ける天空――
落葉散り敷く小径で行き遇ったのは――異国の少女 ブルーの瞳輝く――
犬を引く――その愛くるしい顔 スラリと伸びた手足 ステップ軽く――
擦れ違う――刹那私の顔を撫でたジャスミンの淡い夢 消えぬ残り香――
〇T.S.君とやぶちゃんの協働取組みによる評釈
顔に当たる微風の、透明な、乾いた、肌に心地よい冷たさ――。
どんな小さな音をも遠くまで忠実に伝える、適度な緊張を孕んだ冬の大気――。
ふと道端の、どこまでも明るい疎林の奥を見透かせば、冬の陽が、樹々の間を縫って、しっかり斜めに射し込み、地面に達しているのが見える。その光線の眩い燦めき――。
気づけば、冬の雑木林の底に積もった落ち葉を踏みしめる、乾いた私の足音――。
さて、そこへいつの間にか別の乾いた足音が混じる。ああ、向こうから少女がやって来たのだ。それにしては、どうも足音が多い……。そうか、犬も一緒なのか。そういえば犬の息も聞こえるではないか。彼らはぐんぐん近づいて来る。ああ、青い瞳――異国の少女! そして彼女の子鹿のような肢体と、取り澄ましながらも頬はやや上気した愛くるしいその表情が、あっという間に私と擦れ違って行く。
西洋の少女が持つ、日本の少女が持ち得ない軽やかさ――言うまでもなく、肌や眼や髪の色、洋服などに起因する軽み(仮にここを日本の少女で代替してみよう。詩世界が一気に瓦解するのが、読者にもお分かりいただけるであろう)――。
同時に、西洋の少女だからこそ詩人や読者に感得させられること……、日本の土地から遊離することで実現する夢――お伽話的な魔法による、風土への絆との一時的遮断――。
そして、犬を連れての散策であることから生じる心理的な軽やかさ――同時に、犬の速い足に合わせるための物理的な足取りの軽さ――。
また、愛くるしい少女に触発された詩人の泡立つ心――。
最後に――ほのかに、しかしいつまでも漂う――淡く、軽く、心持ち華やかなジャスミンの芳香――。しかも――それは、体温を持ち、溌溂と生きている生身のその少女から発せられた微香――。
全ての舞台設定がこんなにも素直に、そしてこんなにも見事に、詩世界の構築に寄与しているなんて! しかも、全ては当たり前のようにごく自然に立ち現れる。作為的な場面設定の仕儀を全く感じさせないのだ。その結果、詩人の歩む林は、いつの間にか、西洋の少女にこそ似つかわしい林、すなわち国木田独歩(中島敦が生まれた前年にこの世を去った)が発見し定着させた『武蔵野』の林――近代的景観としてのスマートなそれが、読者の心の中に見事に立ち上がる。以下、当該作中の絶唱(私はそう信じている)とも言うべき二箇所を引用する[やぶちゃん注:二箇所の引用はT.S.君の指定箇所に従い、私の作成した「武蔵野」初版本底本のテクストより引用した。一部にある脱字補填の記号を省略した。]。
* * *
楢の類だから黄葉する。黄葉するから落葉する。時雨が私語く。凩(こがらし)が叫ぶ。一陣の風小高い丘を襲へば、幾千萬の木の葉高く大空に舞ふて、小鳥の群かの如く遠く飛び去る。木の葉落ち盡せば、數十里の方域に亘(わた)る林が一時に裸體(はだか)になつて、蒼(あを)ずんだ冬の空が高く此上に垂れ、武藏野一面が一種の沈靜に入る。空氣が一段澄みわたる。遠い物音が鮮かに聞へる。
§
鳥の羽音、囀る聲。風のそよぐ、鳴る、うそぶく、叫ぶ聲。叢(くさむら)の蔭、林の奧にすだく虫の音。空車(からぐるま)荷車(にぐるま)の林を廻(めぐ)り、坂を下り、野路(のぢ)を横ぎる響。蹄で落葉を蹶散(けち)らす音、これは騎兵演習の斥候か、さなくば夫婦連れで遠乘に出かけた外國人である。何事をか聲高(こわだか)に話しながらゆく村の者のだみ聲、それも何時しか、遠ざかりゆく。獨り淋しさうに道をいそぐ女の足音。遠く響く砲聲。隣の林でだしぬけに起る銃音(つゝおと)。自分が一度犬をつれ、近處の林を訪ひ、切株に腰をかけて書(ほん)を讀んで居ると、突然林の奧で物の落ちたやうな音がした。足もとに臥(ね)て居た犬が耳を立てゝきつと其方を見つめた。それぎりで有つた。多分栗が落ちたのであらう、武藏野には栗樹(くりのき)も隨分多いから。
* * *
私たちは、この詩の出来事を、いかにも実際に経験しそうではないか。いや、そうではない! 本当に、昔どこかで経験したのではないだろうか? 誰にもそんなデジャ・ヴュを感じさせるものが、この詩には、確かに、ある。
[やぶちゃん注:私はこの漢詩と、次に示す中島敦の「小笠原紀行」の二首に現われる少女がオーバー・ラップすることを禁じ得ないということをここに特に注しておきたく思う(「帰化人部落」という前書を持った三首より二首。一首目の前にある前書も示した)。
奧村に歸化人部落あり、もと捕鯨を業とする亞米利加人なりしといふ
小匝(こばこ)もち娘いで來ぬブルネット眼も黑けれど長き捷毛や
紅(あか)き貝茶色の貝(かひ)と貝つ物(もの)吾にくるゝとふ歸化人娘
リンク先は私のブログの当該歌群三首。]
詩人はリラックスしている。肩に力など入っていないし、拳を握ってなんかいない。眉間に皺など寄せていないし、ため息などついてもいない。……
――冬の低い太陽に照らされた詩人の顔が
――口元にほんの少し湛えられた笑みが
見える。……
――足を止め、耳を澄ませて、少女の去った小路を振り返り
――ただ静かに佇んで眺めている詩人の姿が
見える。……
中島敦という詩人が持っていた懐は、実は非常に深いのだ。こんなにも明るい、塵労を感じさせない、きらめく一種の情趣を、顔を上げて、ひたすらに自然体で歌うこともできるなんて……。そして驚くべきことに、純粋で確固たるこの詩境!
私には、かすかに聞こえる。この情景には、他でもない、ショパンが、最も似合うのではないか……。曲は――? そう、エチュード十三番変イ長調……。
[やぶちゃん注:ショパンのエチュードの傑作中の傑作、第十三番変イ長調(Op.25-1)「エオリアンハープ」(シューマンの命名)はまた、「牧童」という別名をも持つ。これはショパンが雨宿りの牧童が静かに笛を吹く姿を想像して作ったという伝聞に基づく。リンク先は、私が選んだ“Wilhelm Backhaus plays Chopin Etudes Op.25”である。]
なお、私はこの詩を、敢えて対比させることはしたくない……当時の日本の世相――頭に血が上って視野が狭まり、全世界を相手にヒステリックな喧嘩を売りまくろうとしていた世の中――とは……。そんなことは、決してしたくないのだ。この詩はこれだけでもう、完璧なのだ。ほかの何ものの付加も説明も要らない。ましてや、大上段に構えた抽象的な社会のことなど、いかなる理由があっても、何があっても、偉そうに改めて持ち出したくないのだ……。
ところで、私は『詩世界の構築』と書いた。しかし、この詩世界は、殊更に作為された痕跡が殆ど見られず、この上なく自然であるように感じられる。これはまた、架空の設定ではなく、詩人が実際に経験した事実に基づくものであるからに違いない。
彼は横浜に住んでいた。西洋人も多かった。大戦前の世情騒然としつつある時代でも、横浜には多くの外国人が住んでいた。とりわけ、彼が奉職していた学校のあった元町に隣接した山手の丘の上には、明治以来の日本にあって、独特の異国情緒豊かな一角があった。
そして林。山手の丘の上で林といえば、我々は真っ先に根岸森林公園を想起する。しかしそこは旧根岸競馬場であった。中島敦が亡くなった一九四二年に中止されるまで、競馬は開催されていたらしいから、詩の舞台として、直接結びつける訳にはいかない。しかし、山手の丘の上は、今よりずっと長閑で、雑木林なども点在していたと考えてよかろう。少なくとも、急な傾斜地まで何かに憑かれたように宅地造成してしまう現代とは明らかに異なっていた。
日本でありながら、日本でないような空気を、呼吸できる街――私はそんな『横浜』を想う……。ただし、誤解しないでいただきたい。私は『今の横浜』を言っているのでは、ない……。私が幼い頃、まだ現実にそんな片鱗が残っていたのではないかと思えるような、私の中に何か切なく懐かしくあるところの、『イメージとしてのヨコハマ』を、である……。
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