フランツ・カフカ「罪・苦痛・希望・及び眞實の道についての考察」中島敦訳 1
[やぶちゃん注:底本第三巻の「翻譯」所収。原典“Betrachtungen über Sünde, Leid, Hoffnung und den wahren Weg”は「109」の断章から成るが、中島敦は「11」の番号を書いたところで中断している。注でドイツ語版ウィキソースの“Betrachtungen über Sünde, Leid, Hoffnung und den wahren Weg – Wikisource”から原文を引用、次に新潮社一九八一年刊「決定版カフカ全集3」の飛鷹節氏の当該章の邦訳(氏の邦題は「罪、苦悩、希望、真実の道についての考察」)を示した(翻訳著作権があるが、中島敦の訳との対照のための引用であり、中島のものは十章分しかない。されば引用の許容範囲内と私は判断するが、万一、削除要請があった場合には削除する用意がある。本翻刻では「10」までを示す。]
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眞實の道は一本の繩――別に高く張られてゐるわけではなく、地上からほんの少しの高さに張られてゐる一本の繩を越えて行くのだ。それは人々がその上を步いてゆくためよりも、人々がそれに躓くためにつくられてゐるやうに思はれる。
[やぶちゃん注:原文。
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Der wahre Weg geht über ein Seil, das nicht in der Höhe gespannt ist, sondern knapp über dem Boden. Es scheint mehr bestimmt stolpern zu machen als begangen zu werden.
新潮社一九八一年刊「決定版カフカ全集3」飛鷹節氏訳。
一 真実の道は、たかい空中ではなく地面すれすれに張られた一本の綱のうえに伸びてている。それは歩いて渡られるたれるためというより、むしろ躓かせるためにあるようにみえる。
私はこのアフォリズムに、
……私の以上の諸命題は、私を理解する君が其処を通り、其処の上に立ち、其処を乗り越えて行く時、最後にそれが常識を逸脱していると認めることによって、解明の役割を果たす。(君は、言ってみれば、梯子を登り切った後には、その梯子を投げ捨てなくてはならない。)君はこれらの命題を乗り越えなければならない。その時、君は世界を正しく見ている。
という断章が想起されてならない。それは――Ludwing Wittgenstein の「論理哲学論考」終章(6.54)である――
6.54 Meine Sätze erläutern dadurch, dass sie der, welcher mich versteht, am Ende als unsinnig erkennt, wenn er durch sie - auf ihnen - über sie hinausgestiegen ist. (Er muss sozusagen die Leiter wegwerfen, nachdem er auf ihr hinaufgestiegen ist.) Er muss diese Sätze überwinden, dann sieht er die Welt richtig.
以上の原文引用はSatohSin 氏の“Ludwig Wittgenstein Tractatus Logico-Philosophicus”に拠る。]
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