栂尾明恵上人伝記 47 巻上 了
同年六月十五日より栂尾の本堂にして梵網菩薩戒本(ぼんもうぼさつかいほん)、兩度の説戒(せつかい)始行せらる。其の戒儀(かいぎ)〔別記あり〕諸僧同じく列坐して共に戒文を誦(じゆ)す。其の説戒の間靈驗多し。見聞し得たること、委しく註するに遑(いとま)あらず。或は異香虛空に薰滿(くんまん)し、或るは靈物(れいもつ)無形にして、異る音聲にて共に誦す。或は異類六歳の小兒に託して齋戒歸依の志を述べ、或は年來重病の者聽聞の砌(みぎり)に或は汗を流し或るは嘔吐(おうと)をして愈(いゆ)る類もあり。或は瘧病(ぎやくびやう)の者爰に臨みて聽聞の間に忽に愈るのみなり。是れ今に高山寺の恒例の勤めとなれり。
安貞元年〔丁亥〕勸進記上下二卷竝に別記一卷之を作る。又光明眞言を以て土砂を加持し給ふに、土砂照耀(せうえう)す。
又或時上人、光明眞言土砂加持をせんとて、土砂を取り寄せて加持し給ふに、修中に忽ち不淨の惡相現ずること兩三度あり。上人あやしみて、此の土砂取りける處を問ひ給ふ。即ち土砂の在る所を見せしめ給ふに、傍に野犬の穢したる有りてあたりに散れり。此の由を申しければ、其の後より侍者の僧に仰せて、極めて淸淨なる地を撰びて取りて來るべしとなり。
同二年〔戊子〕七月の比、石水院後(うしろ)の谷より水出でて濕氣あるに依つて、心地惱ましとて、禪堂院を造りて住み給ひしが、僧坊近くてむつかしとて、又三加禪(さんがぜん)竝に禪河院(ぜんがゐん)なんど云ふ菴を造りて、籠居して坐禪修觀し給へり。護法童子常に現じて、傍に見えけり。
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これを以って「栂尾明惠上人傳記卷上」を終わる。