日本その日その日 E.S.モース(石川欣一訳) 第六章 漁村の生活 5
子供が遊んでいるのを見たら、粘土でお寺をつくり、その外側を瓶詰めの麦酒(ビール)その他の蓋になっている、小さな円い錫の板で装飾していた。これは外国人が残して行ったのを、子供達が一生懸命に集め、そしていろいろな方法に利用するのである。お寺の付近には、小さな玩具の石燈籠や鳥居が置かれ、木の葉すこしで周囲を仕上げてあった。数度私は子供が砂や粘土で何かつくるのを見たが、彼等の努力が我国の子供達のと同じ方向に向っていることを見出した。
図―152
家々の屋根を眺めてすぐに気がつくのは、煙突がまるで無いことである。また小櫓、円屋根、その他のとび出た物も無い。都会だと屋梁(むね)の上に火事の進行を見るための小さな足場を見受ける。耐火建築は、多少装飾の意味も持つ巨大な端瓦を、屋梁にのせていることもある。図152は私の部屋から見渡した家々の屋根のスケッチで、あるものは萱葺き、他はすでに述べた薄い木片で覆れている。大きな装飾的の屋梁のあるのは耐火建築である。これ等の建物はごちゃごちゃにくつつき合っている。一度火事が起れば即座に何から何まで燃え上って了うことが、了解出来るであろう。
家の内外を問わず、耳を襲う奇妙な物音の中で、学生が漢文を読む音ぐらい奇妙なものはない。これ等の古典を、すくなくとも学生は、必ず声を出して読む。それは不思議な高低を持つ、妙な、気味の悪い音で、時々突然一音階とび上り、息を長く吸い込む。それが非常に変なので勢い耳を傾けるが、真似をすることは不可能である。
夜になると部屋は陰鬱になる程暗い。小さな皿に入った油と植物の髄の燈心とが紙の燈寵の中で弱々しく光っている。人はすくなくとも燈籠を発見することは出来る。この周囲にかたまり合って家族が本を読んだり、遊技をしたりする。蠟燭も同様に貧弱である。石油が来たことをどれ程日本人が有難がっているかは、石油及び洋燈の輸入がどしどし増加して行くことによっても判る。
[やぶちゃん注:「紙の燈籠」「燈籠」原文“a paper lantern”“the lantern”で、言わずもがなながら行灯のことである。]
« フランツ・カフカ「罪・苦痛・希望・及び眞實の道についての考察」中島敦訳 5 | トップページ | 日本その日その日 E.S.モース(石川欣一訳) 第六章 漁村の生活 6 最初のドレッジ »