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2013/07/20

栂尾明恵上人伝記 51 独りで石打ち遊び

 上人禪定をのみ好み給ひて、一兩年は少さき桶を一つ用意して、二三日、四五日の食を請ひ入れて、肱(ひじ)にかけ後の山に入り、木の下・石の上・木の空(うつろ)・巖窟などに終日終夜(ひねもすよもすがら)坐し給へり。すべて此の山の中に面(おもて)の一尺ともある石に我が坐せぬはよもあらじとぞ仰せられける。

 建仁寺の長老より茶を進ぜられけるを、醫師に是を問ひ給ふに、茶は困(こん)を遣(や)り食氣(しよくけ)を消(け)して快からしむる德あり。然れども本朝に普(あまね)からざる由申しければ、其の實を尋ねて兩三本植ゑ初められけり。誠に眠りをさまし氣をはらす德あれば、衆僧にも服せしめられき。或る人語り傳へて云はく、建仁寺の僧正御房大唐國より持ちて渡り給ひける茶の子(たね)を進められけるを、植ゑそだてられけると云々。
[やぶちゃん注:「建仁寺の長老」栄西。明恵より二十四歳年上である。]

 或る時は石をひろひて石打を獨りし給ひけり。其の故を人問ひ申しければ、餘りに法文(ほふもん)どもの心に浮かびてむづかしく候程にとぞ答へ給ひける。

 或る時、又人の許より糖桶(あめをけ)を進(まゐ)らせたりけるを、後日に其れこなたへとて前へ取り寄せ給ひけるを、結構の由に上に卷きたる藤の皮をむきて指(さし)出したりければ、やがて泣き給ひて、糖桶は上を卷きたるこそ糖桶のあるべきやうにてあるに、あるべきやうを背(そむ)きたるとて、又いひ出してぞ泣き給ひける。此の如き事常にありけり。
[やぶちゃん注:「結構の由に」持ち来たるよう命ぜられた者が、飴の入った桶を封してあった藤蔓の不恰好な皮を綺麗にむき剝して「体裁をよくして」明恵の前へうやうやしく差し出したのである。「あるべきやうを背きたる」こそが明恵のゾルレンの思想へとダイレクトに通底するのである。]

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