フランツ・カフカ「罪・苦痛・希望・及び眞實の道についての考察」中島敦訳 8
8
Aはひどく自惚れてゐた。彼は、自分が德性に於て非常な進步を遂げたと信じてゐた。といふのは、(明らかに、彼がより挑戰的な人間になつたためであるが)彼が、今迄知らなかつた種々な方面から、次第に多くの誘惑が攻めてくるのを見出すやうになつたからだ。だが、本當の說明は、より强力な惡魔が彼を捕へ、さうして、より小さい惡魔共の宿主が、より偉大な惡魔に仕へるために走つて行つたといふことである。
[やぶちゃん注:原文。前章で述べた通り、引用元では前章からナンバーのずれが発生し、しかもここも連番で示され、中島の訳とは番号がずれる。
9. 10
A. ist sehr aufgeblasen, er glaubt im Guten weit vorgeschritten zu sein, da er, offenbar als ein immer verlockenderer Gegenstand, immer mehr Versuchungen aus ihm bisher ganz unbekannten Richtungen sich ausgesetzt fühlt. Die richtige Erklärung ist aber die, daß ein großer Teufel in ihm Platz genommen hat und die Unzahl der kleineren herbeikommt, um dem Großen zu dienen.
新潮社一九八一年刊「決定版カフカ全集3」飛鷹節氏訳。前章同様に以下のように、「9」と「10」が独立して訳されてあり、原文と同じく、以降は中島の訳とは番号がずれる。
九 Aの自惚れようはひどい。彼は、自分が善においておおいに進歩したと信じている。その証拠に、あきらかに自分がひとをひきつけてやまぬ存在となったからこそ、これまでまったく無縁であった方面の誘惑に、しだいに多くさらされるようになったではないか、と言うのである。
一〇 しかしこの場合の正しい説明は、彼のなかに大悪魔がどっかと居坐ったからこそ、無数の小悪魔たちが大王に仕えるためにやって来はじめた、ということだろう。
一般的な解釈に従えば、「A」とは旧約聖書に登場する、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教を信じるところの『聖典の民』の始祖とされ、ノアの洪水後に神による人類救済の一人として祝福された最初の預言者にしての『信仰の父』である、子孫にカナンの地を与えるという神との契約を受けた、かのアブラハム(Abraham)を指すとされている。参照したウィキの「アブラハム」によれば、ユダヤ人はイサクの子ヤコブを共通の祖先としてイスラエル一二部族が派生したとし、アブラハムを「父」として崇め、また「アブラハムの末(すえ)」を称するとある。
私はアブラハムとは、終生確執が絶えなかったカフカの父ヘルマンを指しているように思われる。
カフカとは、父のために自らを犠牲とするイサクであったのではなかったか? 「判決」のように……]

