「夜明け前」冒頭勝手校正夢
僕は誰もいない昼下がりのビルの狭い一室の机の上で、島崎藤村の「夜明け前」の冒頭、
木曾路はすべて山の中である。
の、七ミリ幅の短冊状に切ったものを、写植用の原紙の上に置いて凝っと眺めている。
暫くして、その「山の中」の部分を、カッターで切断し、そこをそのままそこを空きにしておいて、上下に、
木曾路はすべて である。
と、「夜明け前」序の章」「一」と標題した原紙に貼り附ける。
そうして……そうしてまた、その空欄を、腕を組んで、凝っと見つめている……
*
僕は二十の頃、大学の冬休みに、水道橋の印刷会社でしばらくアルバイトをした。最初の仕事は税務法令集増補版の写植原稿の校正であった。この夢のように、追加改正法令を細い短冊状に細かくカットしたものを、糊で貼り付けて挿入、後に繰り送る文を脱文しないように、やはり短冊状に切り抜いて貼り付けてゆくという、如何にも退屈に見える仕事であった。しかし誰にも邪魔されずに個室に一人籠ってせねばならない仕事であり(短冊吹き飛んだりすればお釈迦だから)くなると、実はすこぶる気に入っていた(因みにこの会社では最後には金庫の中の怪しげな帳簿の整理までやらされた)。
この夢は明らかにその時のフラッシュ・バックである。
しかも僕は勝手に藤村のかの、名文として知られた、それを切り張りした上に、何と、
「山の中」
を勝手に変えようとしているのである。
……ちなみに僕は藤村が――嫌い――なのである……
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