日本その日その日 E.S.モース(石川欣一訳) 第六章 漁村の生活 6 最初のドレッジ
今朝(七月三十日)私は第一回の曳網を試みた。我々の舟は小さ過ぎた上に、人が乗り過ぎたが、それで外側へ廻って出て、絶え間なく大洋から寄せて来る大きなうねりに乗りながら、曳網を使用しようと試みた。十五尋(ひろ)の深さで数回引っぱったが、我々の雇った二人の船頭は、曳網を引きずり廻す丈に強く艫を押さなかった。これは困難なことではあった。そして外山と彼の友人が船に酔ってグックリと舟底に寝て了ったので、引き上げた材料は私一人で点検しなければならなかった。明日我々は、もっと大きな舟に船頭をもっと多数のせて、もっと深い所へ行く。我等の入江に帰った時、私はそもそも私をして日本を訪問させた目的物、即ち腕足類を捕えようという希望で一度曳網を入れて見た。私は引潮の時、この虫をさがしに、ここを掘じくりかえして見ようと思っていたのである。所が、第一回の網に小さなサミセンガイが三十も入っていたのだから、私の驚きと喜びとは察して貰えるだろう。見るところ、これ等は私がかつて北カロライナ州の海岸で研究したのと同種である。
[やぶちゃん注:ここは最後の部分に訳の脱落がある。原文では“Conceive my astonishment and delight when the first haul brought up twenty small Lingula, apparently the same species that I had studied on the coast of North Carolina.”の後に、“A number of hauls brought me up two hundred specimens which I have alive for study.”とある。訳すと、
その浅瀬で続きざまに、何度か曳き網を繰り返してみたところ、私は凡そ二百個体の試料を採取したので、研究のために活かしておくことにした。
となる。
「十五尋の深さで数回引っぱったが、我々の雇った二人の船頭は、曳網を引きずり廻す丈に強く艫を押さなかった。」「十五尋」は約二七・五メートル弱。ここ、なんとなく日本語がおかしいように感じられる。原文は“A few hauls were made in fifteen fathoms of water, but the two men we had hired would not scull hard enough to pull the dredge along.”であるが、この後半部は、水子たちは網を保守するのに手一杯で(深度とその相応の重量によるものであろう)、とても同時に艪を漕いで――“scull”はスカル(両手に一本ずつ持ってこぐオール)で漕ぐという動詞であるが、ここは和船であるから艪(艫)となる――十分曳航されなければ意味がない(効果的採取が出来ない)ドレッジの引き回しが出来なかったということを示している(だからこそ次に「これは困難なことではなった」と言い、「明日我々は」「船頭をもっと多数のせて」と言っているのである)。従ってここは、
二人の船頭は、曳網を効果的に引きずり廻すほどには懸命に艫を漕ぐことができなかった。
と訳すべきところである。
「腕足類」原文“Brachiopods”は腕足類の英名。ネイティヴの発音を聴き取ると「ブレッキォパォァド」と聴こえる。因みに腕足動物門は Brachiopoda。前章「第五章 大学の教授職と江ノ島の実験所」に最初に既注済。
「サミセンガイ」原文“Lingula”。シャミセンガイ属 Lingula。発音は「リングラ」。前章「第五章 大学の教授職と江ノ島の実験所」に最初に既注済。
「見るところ、これ等は私がかつて北カロライナ州の海岸で研究したのと同種である。」「私がかつて北カロライナ州の海岸で研究した」については前章「第五章 大学の教授職と江ノ島の実験所」の最初と私の注を参照のこと。なお、「見たところ」「同種である」と述べているが、磯野先生は「モースその日その日 ある御雇教師と近代日本」の中で、後に別種と気づく、注しておられる。同じ箇所で磯野先生は『アメリカでモースがシャミセンガイを採取したときには、「一週間近くあちこちと探しまわった末、ようやくシャミセンガイ何匹かを手にすることができた」と彼は論文に記している。それが数回網を入れただけで二〇〇匹、さぞ感激したであろう』と述べられ、私の注でも記した通り、磯野先生はこの採取場所の『正確な位置は分からないが』、と断られた上で、島の北から実験所近くの、「我らの入江に帰った時」(石川氏訳)という叙述からも、『彼の実験所の前あたりとすれば、』先にも私の注で紹介させて戴いたように、『いまモースの記念碑が建てられている公園周辺ではないかと思われる』と記しておられる。無論、磯野先生も述べておられるが、現在の江の島では最早、シャミセンガイは見つからない。『江の島はもとより、湘南海岸のどこを探しても、シャミセンガイの殻ひとつ見当たらない。』一体、我々はどこまで来てしまったのだろう――
以下、一行空けで原注は、底本ではポイント落ちで全体が一字下げである。]
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