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2013/07/14

耳嚢 巻之七 不思議に金子を得し事

 不思議に金子を得し事

 安永の比(ころ)、梅若七郎兵衞といへる能役者ありて、小笠原何某といへる方え心安く立入(たちいり)、目を掛られしが、甚(はなはだ)貧窮のうへ壹年長煩(ながわづらひ)して、夫(それ)は誠に年の暮ながら餅つく事もならず、夫婦共にひとつの衣類をも質入(しちいれ)して困窮なしけるが、十二月廿六日に至り、最早春も來るに、斯(かく)居らんも情(なさけ)なし。小笠原家え參りなば、年々歳暮には三百疋宛(ぴきづつ)給(たまは)るなればまかりなんと、破(や)れながらも小袖を着し、上下(かみしも)はあたりの人にかりて小笠原へ至りければ、能こそ來りける迚、主人も逢可被申(あひまうすべし)迚酒抔出し、漸(しばらく)酩酊にも及(および)ける比、例の目錄給りし故、段々困窮難儀して餅も不舂仕合(つかざるしあはせ)、頂戴の目錄にて年を取可申(とりまうすべく)咄しけるを主人聞(きき)て對面有(あり)、扨々氣の毒なる事難儀成るべしと、金三兩別段に給りければ、誠に活(いき)かえる心地して嬉しさ云ふ計(ばかり)なし。百拜を述(のべ)て立歸(たちかへ)しが、何れの町にやありけん、土腐堀(どぶぼり)へたちて小用(せいよう)を辨じ、扨妻にも喜(よろこば)せんと宿許(やどもと)へ立歸、まづ目錄の三百疋を渡し、扨三兩の金子を見しに、いづちへ行けん、最前小用せし處へ落ける哉(や)、外に覺(おぼえ)なし。尋止る妻をも見かへりもせず、飛(とぶ)が如く彼(かの)小用せし土腐の内不淨をも不顧(かへりみず)多搜しけるを、あたりの町人立出て、何をなし給ふやと尋(たづね)ける故、しかじかの事也と語りければ、燈灯をさげ抔して其邊を搜しけるに、土腐の中より金貮兩取出しける故ちきに□ひ、町人共えも厚く禮を述ければ、今壹兩も尋(たづね)ばあるべきといゝけれど、いやいや貮兩も求(もとめ)難き所を得たれば、此上夜をふかしなんも便(びん)なし迚立歸り、妻にもかくかく事と語りければ悦(よろこび)、まづ足をあらひ給へとて、足を淸め帶をときて衣類をぬぎかへし、不斗(ふと)右着類破れより金三兩最初小笠原家にて貰ひし儘に出(いで)ければ、右三兩は落さず、落せしとて土腐堀にて尋得しは別の金也けりと也。

□やぶちゃん注

○前項連関:特にこれといったものがある訳ではないが、意外な結末の市井譚としては自然に読み継げる。

・「安永」西暦一七七二年~一七八一年。「卷之七」の執筆推定下限は文化三(一八〇六)年夏であるから四半世紀前のやや古い噂話である。

・「梅若七郎兵衞」岩波版長谷川氏注に、『観世座地謡に名あり。安永年代は三十歳台』とある。

・「三百疋」一疋は一〇文で、一〇〇疋は一〇〇〇文。これが一貫文で四貫(四〇〇〇文)が一両になる。江戸後期の一両は凡そ現在の五~六万円相当であるから、三百疋は三七五〇〇~四五〇〇〇円前後に相当する。しかし最終的に三両+二両=五両となれば、三〇万円から三五万円相当で、とんでもない高額である。

・「目錄」進物として贈る金の包み。

・「土腐堀」埼玉県行田市及び羽生市を流れる農業用排水路に「土腐落(どぶおとし)」という名が残るように、江戸時代は「土腐悪水」などと称して、所謂、主に田畑や家庭からの汚水を流す溝(どぶ)や下水に、かくもぐっとくる漢字を当てたものらしい。

・「尋止る妻」底本には右に『(ママ)』注記。岩波のカリフォルニア大学バークレー校版は、「止る妻」とある。それで採る。

・「多搜しけるを」底本には右に『(ママ)』注記。岩波のカリフォルニア大学バークレー校版は、「搜しけるを」とある(正字に代えた)。それで採る。

・「燈灯をさげ抔して」「燈灯」はママ。岩波のカリフォルニア大学バークレー校版は、「灯び抔(など)出し、提灯をさゝげて」とある(ここはそのまま引用した)。恣意的に「提燈をさげ抔して」と読むこととする。

・「故ちきに□ひ、」底本には「ちき」の右に『(ママ)』注記。岩波のカリフォルニア大学バークレー校版は、「大いに喜び」(読点はない)とある。それで採る。

■やぶちゃん現代語訳

 不思議に金子を得たる事

 安永の頃のことで御座る。

 梅若七郎兵衛と申す能役者が御座って、小笠原何某殿と申すお方へ、心安う出入り致いて御座って、いたく目を掛られておったものらしい。

 ところが、その頃、舞台稼ぎも思うにまかせず、はなはだ貧窮致いて御座った上に、一年ばかし、長煩(ながわずら)いもこれ加わって、それこそ、まっこと、年の暮れながらも、餅さえつくこともままならず、夫婦(めおと)とも、たった一つの着替えの衣類さえも質入れ致すまで、困して御座ったと申す。

 さて十二月も押し迫った廿六日に至り、主人七郎兵衛、

「……最早、春も来たると申すに、かくも貧窮の極みのままにおらんも、これ、あまりに情けないことじゃ。……小笠原様御屋敷へ参らば……そうさ――かつては年々、歳暮には三百疋宛(あて)も賜はって御座ったものなれば……いや、まずはともかくも……年末の御挨拶に伺ってみようとぞ、と思う……」

と、恥ずかしくもぼろぼろのものながらも小袖を着し、裃(かみしも)は近所の者に借りて、小笠原屋敷へと向こうた。

「能の梅若七郎兵衛が参りました――」

と、下役が奥へと伝えたところ、主人(あるじ)も、

「おお。これは久しいのぅ。通すがよいぞ。」

とて酒なんどを出ださせ、一くさり、下座にて謡いなんども披露させた上、病み上がりなれば、じきに酩酊に及んで御座った頃、かねての目録をも賜わられたによって、七郎兵衛は酔いも手伝(てつど)うて、あまりの嬉しさゆえ、

「……一年、病みほうけ……困窮難儀致いた上……この年末は、これ、餅をも搗くこと、出来ず仕舞い……なれど……この頂戴致いた目録によって、やっと人並みに年を越すこと、これ、出来ますれば……何とも、ありがたきこと……」

と、つい、目録を下しおいた下役に向(むこ)うて、言うとはなしに口が滑ったを、主人、聞きつけ、

「――これ、七郎兵衛、近う参れ。」

とご対面(たいめ)あって、仔細を訊き質されたによって、畏まって正直に申したところが、小河原殿、

「……さてさて、それは気の毒なること。如何にも難儀にてあろうのぅ。……」

と、別して金三両を賜わって御座ったと申す。

 されば七郎兵衛、まっこと、生き返った心地にて、その嬉しきことたるや、言いようもないほどで御座ったと申す。

七郎兵衛は百拝して御礼申し上げ、それこそ酒も手伝って、浮き足立って御屋敷を後に致いた。

それから――さても何処(いずこ)の横丁で御座ったものか――ふと、尿意を催し、近くの溝堀(どぶぼり)の端で立小便致いた。

 己が小便の湯気の立ち上る中、七郎兵衛。

「――さても!――妻をも喜ばせん!――」

とて、にやついて、一物の滴(しずく)を切るももどかしゅう、そのまま己が屋敷へ立ち戻った。

「――女房!――喜べ!」

と、まずは目録に包まれた三百疋を渡いた上、またしても妙に、にやつきながら、今度はやおら、懐に手を入れて三両の金子を出(いだ)――出そうした……

……が

――ない――

……酔うた目(めえ)で腹の辺りを覗いて見るも……

……これ

――ない――

「……い、一体……どこへいったんじゃ!……どこへ落したんじゃ?……そうじゃ!……最前の、た、立小便のとこかッ!?……外には覚えはない!……あそこから真っ直ぐ帰ったじゃて!……そうじゃ!……ど、ど、溝(どぶ)じゃ! ど、ドブん中じゃッ!……」

と狂気の如き雄叫びを挙ぐると、何やらん、訳も分からぬながら、留めんとする妻をもかえりみず、飛ぶが如く、かの立小便致いたところへひた走り、おぞましきドブ泥の不浄をもなんのその、膨れ上がって浮きおる犬猫の死骸をも素手にて掻き分け、腰まで、ぎらついた糞尿の臭さき悪水溜まりを、手足使(つこ)うて探りに探る。……

 物音と掻き広げた臭さに辺りの町屋の者どもも、何だ何だと、立ち出でて参ったが――

見れば……

――裃を着した鼻筋の通ったやさ男が

――ドブ泥の中で

――何やらん喚きながら格闘して御座る。

さればこそ、恐る恐る、

「……い、一体……な、何をなさっておらるるんで?……」

と恐っかな吃驚り訊いて参った。

 まあ、なんぞの草双紙の怪談にでも出そうな情景なれば、これ、無理も御座るまい。

 されば、ここはと、七郎兵衛も気を落ち着け、しかじかのことにて御座って、この溝(どぶ)内に三両の金子を落とした由、語って御座ったところ、この年末も押し迫った中で、三両と聴き、集まった野次馬の町衆も、

「――そりゃあ、大変(てえへん)だ!」

ってえんで、熊さんも八さんも長屋から繰り出して参り、大勢にて提灯を掲げては、竹竿なんどを持って、しきりにドブ泥を引っ掻き回し、手応えを求めて御座ったと申す。

 すると暫く致いて、七郎兵衛自身、ドブ泥の中より――金二両を――摑み出だいて御座った。

 さればこそ、町人どもへも厚く礼をなしたが、ある者は、

「ここまで皆してやったんじゃ! 今一両、捜さねぇて、手はありゃせんゼ! その掘り抱いた辺りの、きっと近くに、まだありやしょう!」

としきりに申したれど、七郎兵衛曰く、

「いやいや、二両さえも求め得難き所を得たればこそ、この上、夜を徹して捜すと申すは、これ、労多くして、町方衆へも不憫なこと。――ここは一つ、これにて――」

と、平に町方衆へ謝して帰ったと申す。

 帰り着いて、件(くだん)の仕儀を、包み隠さず妻にも語ったところ、

「――それは誰(たれ)にもよきことをなされました。これで五両――つつましゅう致さば、また来年も我ら、相応に暮らせまする。――」

と大いに悦んだ。そうして、

「……ご主人さま……ともかくも少々お臭いに御座いますれば、まんず、御足(おみあし)をお洗い下さいませ。」

と申したによって、桶にて手足を清め、さても、ドブ泥にすっかり汚れてしもうた裃の帯をも解き、

「……かの金子にて――まずは、明日にでも裃の新たなるを買い求め、借り主にお返し申そうず。」

と妻に語りつつ、それらを脱いで、また、汚れを垂らさぬように裏へと返したところが、

……ふと

……かの脱ぎ置いた着衣の合わせの

……その目の破(や)れたところより

――チャリン!

……と……

――金三両

――最初、小笠原家にて貰(もろ)うたそのままに――転げ出でて御座ったと申す。……

……さればこそ、実は、かの三両はもともと落とした訳ではのうて――落としたと大騒ぎ致いてドブ堀にて捜し得たところの――あの――二両は――これ――全く別の――金子で御座った……

……ということにて御座った、と申す。

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