栂尾明恵上人伝記 49 好きな松茸を生涯断つこと
上人松茸を食し給ふ由を聞き傳へて、或る人請(しやう)じ申して、松茸を種々に料理してまゐらせられけり。歸り給ひて後、人申しけるは、松茸御愛物にて候由承り傳へて、隨分奔走しける由申しければ、道人(だうにん)は佛法をだにも好むと人に云はるゝは恥なり。まして松茸好むなど云はるゝことあさましきことなり。是を食すればこそかゝる煩ひにも及び候へとて、其の後はふつと是を斷ち給へり。
又飮食に飽くこと罪業深きことなり。凡そ世間に欲を發(おこ)し、所知(しよち)庄園をほしがり、見苦しき利養に耽り、刄傷殺害(にんじやうせつがい)に及び、或は嶮しき道を凌ぐ時は、牛馬の背に疵(きづ)を生じ、或は荒き浪を渡る時、船人風に肝を消し、農夫汗を流し、織女手を費し、鋤(すき)蟲を殺し、引板(ひた)獸を驚かし、すべて春耕すより秋收むるに至るまで、農夫の艱苦(かんく)勝(あ)げて計るべからず。然るに殺盜婬酒(せつたういんしゆ)などの如くならば、留めてもあらましけれども、生を受くる者一日も食せずんば命保ちがたし。去れば佛一食(いちじき)をすゝめ再食を誡め給へり。是れ併(しかしなが)ら氣をつきて道を行はんが爲なり。然るを無慙無愧(むざんむき)にして放逸の心の引くに任せて、頻にこき味を好み、強ひて飽かんことを願ふ。此の心を改悔(かいげ)せずは何ぞ畜生に異ならん。然る間上人更に飮酒を斷ち、又中(ちゆう)を過ぎて食し給ふことなし。然るに老年に及びて不食(ふじき)の所勞難治の間、時々少しき山藥(さんやく)などを時以後に食し給ふことありき。
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