栂尾明恵上人伝記 46
西行法師常に來りて物語して云はく、我歌を讀むは、遙かに尋常に異なり。華・郭公(ほとゝぎす)・月・雪都(すべ)て萬物の興に向ひても、凡そ所有(あらゆる)相(さう)皆是れ虛妄(こまう)なること眼に遮り耳に滿てり。又讀み出す所の言句は皆是れ眞言にあらずや、華を讀むども實に華と思ふことなく、月を詠ずれども實に月と思はず、只此の如くして、緣に隨ひ興に隨ひ讀み置く處なり。紅虹(こうこう)たなびけば虛空色どれるに似たり。白日かゞやけば虛空明かなるに似たり。然れども虛空は本明かなるものにもあらず、又色どれるにもあらず。我又此の虛空の如くなる心の上において、種々の風情を色どると雖も更に蹤跡(しようせき)なし、此の歌即ち是れ如來の眞の形體(けいたい)なり。されば一首讀み出でては一體の佛像を造る思ひをなし、一句を思ひ續けては祕密の眞言を唱ふるに同じ、我此の歌によりて法を得る事あり。若しこゝに至らずして、妄(みだ)りに此の道を學ばゝ邪路(じやろ)に入るべしと云々。さて讀みける
山深くさこそ心はかよふともすまで哀れはしらんものかは
喜海其の座の末に在りて聞き及びしまゝ之を註す。
[やぶちゃん注:西行が没したのは建久元(一一九〇)年二月十六日、享年七十三歳、当時、明恵は十八歳、末席でこれを直に聞いたとする明恵の直弟子喜海に至っては未だ十三歳で、尚且つ、彼が明恵の弟子になったのは建久九(一一九八)年以後のことであるから、この明恵と西行の本話は後世に仮託された寓話である。しかし、如何にも西行らしい台詞ではある。]