楸おふる片山蔭に忍びつつ吹きけるものを秋の夕風 俊恵 萩原朔太郎 (評釈)
楸(ひさぎ)おふる片山蔭に忍びつつ吹きけるものを秋の夕風
夏の殘暑が尚強い日に、僅かばかりの楸が生えた片山蔭を、かすかにそつと秋風が吹いて通つたと言ふ敍景歌である。「吹きけるものを」といふ言葉によつて、外は尚殘暑の日光が照りつけているのに、有るかなきかの秋風がそつと吹いた氣分を現はして居る。風物歌として新古今集中の秀逸だらう。作者は俊惠法師。敍景歌の名手はいつも僧侶に限られてゐる。
[やぶちゃん注:昭和六(一九三一)年第一書房刊「恋愛名歌集」より。当該歌は「新古今和歌集」の巻第三の二七四番歌で、
刑部卿賴輔歌合し侍(はべり)けるに、納涼(だふりやう)をよめる
という詞書を持つ。この歌合せは嘉応元(一一六九)年に行われたもの。俊恵(しゅんえ永久元(一一一三)年~建久二(一一九一)年?)は源俊頼の子。早くに東大寺の僧となったが、白川の自坊を「歌林苑」と名付けて藤原清輔・源頼政・殷富門院大輔など多くの歌人を集めて盛んに歌会・歌合を開催し、衰えつつあった当時の歌壇に大きな刺激を与えた。鴨長明の師で、その歌論は「無名抄」などにもみえる。風景と心情が重なり合った象徴的な美の世界や、余情を重んじて、多くを語らない中世的なもの静かさが漂う世界を、和歌のうえで表現しようとした。同じく幽玄の美を著そうとした藤原俊成とは事なる幽玄を確立したといえる(以上の事蹟はウィキの「俊恵」に拠った)。「楸」は二種が同定候補としてある。一つはシソ目ノウゼンカズラ科キササゲ
Catalpa ovate の古名で、樹高五~一〇メートルに達する落葉高木。六~七月に淡い黄色の内側に紫色の斑点がある花を咲かせる。果実は細長くササゲ(大角豆)に似るのでキササゲ(木大角豆)と呼ばれる(ここはウィキの「キササゲ」による)。今一つはキントラノオ目トウダイグサ科エノキグサ亜科エノキグサ連アカメガシワ Mallotus japonicas の古名で、樹高五~一〇メートルに達する落葉高木。初夏に白色の花を穂状につける。「赤芽槲」「赤芽柏」という名は新芽が鮮紅色であること、葉が柏のように大きくなることから命名されたもの(ここはウィキの「アカメガシワ」による)。私は本歌の印象に実が合うという理由から前者を採りたい。]
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