日本その日その日 E.S.モース(石川欣一訳) 第七章 江ノ島に於る採集 19 仏壇/理髪業の携帯道具入
図183は家庭内の祠(ほこら)を、写生したものである。小さなテーブルの上にならんでいるコップは真鍮製で、赤い色をした飯が盛ってある。右の下には薩摩芋と、一種の蕪とに四本の木の脚をつけて、豚みたいな形にしたものがある。中の段には米の塊が二つと、桃をのせた皿とがあるが、先祖の中に虎疫(コレラ)で死んだものがありとすれば、桃の一皿はまことに暗示的なお供物であろう。もっともあまり気持のよくない思い出させではあるが――。祠の中央には仏陀の美しい像があった。これは最もみすぼらしい小舎にあった祠である。
[やぶちゃん注:「米の塊」底本では以下に『〔餅のことであろう〕』という石川氏の割注がある。
「桃をのせた皿とがあるが、先祖の中に虎疫(コレラ)で死んだものがありとすれば、桃の一皿はまことに暗示的なお供物であろう」意味不明。水で冷やした桃はコレラの感染源たり得ることはあるが、ここまでは言うまい。何か、コレラと桃との間に、それもモースのような一般的アメリカ人の人口に膾炙した虚偽の病因関連説があったとしか思われない。識者の御教授を乞うものである。]
今朝私はサミセンガイを調べに実験所へ行ったが、昨夜極く僅かしか眠ていないので、起きていることが全く出来ず、断念して部屋へ帰り、短くて不安定なハンモックが提供する範囲で、最も気持のよい昼寝をした。明日で、家庭を離れてから恰度三ケ月になるが、その間、ホテルとドクタア・マレーの家とに泊った数夜を除くと、私は寝台という贅沢品を経験していない。三ケ月間の一部分は、米国大陸を横断する寝台車にいた。また十七日間は、汽船の最も狭い寝床で暮した。そして其後はありとあらゆる品物を枕の代用品として、ハンモックか、固い畳の上かに寝ているのである。
図―184
今迄に私は理髪店というものを見たことがない。床屋は移動式で、真鍮を張った、剃刀(かみそり)その他を入れる引き出しのある箱(図184)を持って廻る。この箱は何か色の黒い材木で出来ていて、真鍮の模様があり、油とびんつけの香がぶんぷんする。鋏は我国で羊の毛を切る鋏に似ている。剃刀は鋼鉄の細長くて薄い一片で、支那の剃刀とはまるで違う。剃刀をとぐ砥石(といし)は、箱の下の方に見えている。引き出しには留針や、糸や、頭髪等が一杯入っている。箱の上の木製の煙出しに入っている、焼串のような棒は、頭髪を一時的一定の形に置くものであり、煙出しの端からぶら下っている真鍮の曲った一片ほ、顔を剃る時、こまかい毛を入れるもので、床屋はこの端に剃刀をこすりつける。私は学生の一人が剃らせるのを見た。顔を剃ることは前に述べたが、床星がまぶたを剃ろうとは思わなかった。勿論まつ毛は剃りはしないが、顔中、鼻も頰もまぶたも、剃るのである。ここみたいな村の往来で写生をしようとすると、老幼男女が周囲を取り巻いて、ベチャクチャ喋舌り続けるから、非常に不愉快である。
[やぶちゃん注:太字は底本では傍点「ヽ」。図184の道具は「鬢盥(びんだらい)」と呼ぶ。髪結いが小道具一式を入れて持ち歩いた引き出しつきの手提げ箱である。廣野郁夫氏の「本のメモ帳」の「続・樹の散歩道 鬢付け油は何を原料としているのか」の最後に、これとよく似た「台箱」と一緒に「守貞漫稿」に載る図が紹介されてある。本文も含め、興味深く、必見である。]
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