何にこの師走の町へ行く鶉 芭蕉 萩原朔太郎 (評釈) (「町」は「市」の萩原朔太郎自身の誤認識による)
何にこの師走の町へ行く鴉
年暮れて冬寒く、群鴉何の行く所ぞ。この句をよむ毎に、自分はニチエの有名な抒情詩を思ひ出す。
鴉等は泣き叫び
翼を切りて町へ飛び行く。
やがては雪も降り來らむ
今なほ家郷あるものは幸ひなるかな。
ニイチエと同じやうに、魂の家郷を持たなかつた芭蕉。永遠の漂泊者であつた芭蕉の悲しみは、實にこの俳句によく表されてる。
[やぶちゃん注:『コギト』第四十二号・昭和一〇(一九三五)年十一月号に掲載された初出の「芭蕉私見」より。昭和一一(一九三六)年第一書房刊「郷愁の詩人與謝蕪村」の巻末に配された「附錄 芭蕉私見」の掉尾に配された鑑賞文では、以下のように評釈が全く異なっている(底本校訂本文ではなく校異によって復元してある)。
何にこの師走の町へ行く鴉
年暮れて冬寒く、群鴉何の行く所ぞ! 魂の家郷を持たない芭蕉。永遠の漂泊者である芭蕉が、雪近い冬の空を、鳴き叫んで飛び交いながら、町を指して羽はばたき行く鴉を見て、心に思つたことは、一つの「絶叫」に似た悲哀であつたらう。芭蕉と同じく、魂の家郷を持たなかつた永遠の漂泊者。悲しい獨逸の詩人ニイチエは歌つてゐる。
鴉等は鳴き叫び
翼を切りて町へ飛び行く。
やがては雪も降り來らむ――
今尚、家郷あるものは幸ひなる哉。
東も西も、畢竟詩人の嘆くところは一つであり、抒情詩の盡きるテーマは同じである。
「羽はばたき」「漂泊者。」はママ。
但し、この句は「花摘」に、
何に此(この)師走(しはす)の市(いち)にゆくからす
で初出し、朔太郎の引用に最も近い「生駒堂」所収のものでも、
何に此師走の市へ行(ゆく)鴉
で総て「市」であって「町」ではない。萩原朔太郎の誤った思い込みである。]
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