『風俗畫報』臨時増刊「江島・鵠沼・逗子・金澤名所圖會」より江の島の部 5 八坂神社の祭礼
●八坂神社の祭禮
八坂神社は邊津宮の傍らにあり、例年七月十三十四の兩日(りやうじつ)祭禮にて江の島海邊(かいへん)ことのほかの賑ひなり、近郷近在より參詣の客、老若男女(らうじやくなんによ)、おしあひ揉みあひ非常の雜踏を極む。
この八坂の祠(ほこら)は、舊(も)と龍の口にいつきまつりしを、さる年の暴風雨に海綿荒れて、津浪を起し、神社は洗はれてこの江の島に漂着座(ましま)しけるを、島人いぢくも拾ひ奉りて、邊津の宮の傍(かたはら)に勸請(くわんせう)しける。因て當日は龍の口も、この江の島も祭典なり。またおの祭典に就きて有興(おもしろ)き囃子あり。里神樂に似て極めて古風のものなり。口碑に傳ふ、昔一人の翁(おきな)ありけり、身に白衣を着し、道德高き僧なりけり、島民に教ふるにこの囃子方(はやしかた)を以てす素より是れ雲水の客(かく)、後ち翁の行く所を知らずと、其節(そのふし)他に異なりておもしろければ記し置かん、此日江の島東西の獵史町よりは二手に分れて囃(はや)やす。
[やぶちゃん字注:以下は、底本では二段組になっているが一段で示す。ダッシュ「――」で示した仕切り線は底本では波線である。]
⦅西町⦆
○通り囃子
豆太鼓(まめたいこ) 四人
笛 三人(或は四人)
三味線(さみせん) 三人
大太鼓(おほたいこ) 一人
摺り鉦(かね) 三人
銅鑼 一人
――――――――――――――――
〇のうかん
〆太鼓(しめたいこ) 三人
笛 三人
三味線 二人(或は三人)
鼓(つゝみ) 二人
――――――――――――――――
〇松囃子(まつはやし)
〆太鼓 三人
笛 三人
太鼓 一人
銅鑼 一人
――――――――――――――――
〇唐人囃子(とうじんはやし)
哨吶(チヤルメラ) 二人
豆太鼓 四人
笛 三人
大太鼓 一人
銅鑼 一人
――――――――――――――――
⦅東町⦆
〇神囃子(かんはやし)
太鼓 三人
鼓 二人
笛 三人
大太鼓 一人
――――――――――――――――
〇松囃子
前條に同じ
〇龍神
哨吶 二人
鼓 二人
三味線 三人
――――――――――――――――
神輿(みこし)は總朱塗にして、上に鳳凰を宿(しゆく)す、扨て十三日の夜宮には御旅所まで渡御す、十四日には宮の周圍を一週す、此の際天王囃子を奏す、其賑はしさ。斯くて西町を練り行きて、濱邊の一の鳥居際(きわ)まで渡御するや、壯丁(そうてい)は海に馴れたるモグリとて、神輿を舁いて海中に躍り込む、神輿よりは二條の綱を曳き、浮きつ沈みつ西町より東町に渡御す、殘れるものどもはいさ別れよと眞裸體(まはだか)になり互いひに海中に揉み合ふ、また天王囃子(てんわうはやし)を奏す。
昔は腰越(こしこゑ)に神輿渡御の擧(きよ)ありしも、このこと今は稀れになり、七年目の祭禮は殊に賑はしく、汐風に吹き黑ろまされし美人、さては杖に縋(すが)る翁、奇異(あやし)けなる風俗八坂の祭典を見るも、東京への土産ぞかし。
[やぶちゃん注:神輿が海を渡御すること、囃子にチャルメラが用いられることで知られる天王祭(神幸祭)と呼ばれる奇祭である(私は残念ながら見たことがない)。私の御用達の「江の島マニアック」の「八坂神社」でこの祭りの動画で見られる。
「島人いぢくも拾ひ奉りて」「いみじくも」の脱字誤字であろう。
「のうかん」不詳。識者の御教授を乞う。]
○中津神社〔口繪參看〕
[やぶちゃん字注:以下は底本では全体が一字下げ。]
中間の島上(とうじやう)に在り。もと上宮と稱す。銅屋根破風(はふう)造り。朱塗格天井にして。種々の彫刻を施せり。社堂の右に神輿を奉置し。此處にて神寶の展覽を許す。戸扉に其の目錄を表示せり。
[やぶちゃん字注:以下の目録内容は底本では二段組であるが、一段で示す。]
御神寶目錄
北條氏康公鎧
遠山新九郎鎧
北條氏綱舞樂太鼓
政子御前如意寶珠
當山に生したる相生竹
北條氏綱大身槍
德川家康公陣太刀
龜山天皇の勅額
仁田四郎兜
北條氏綱舞樂の面
文覺上人直筆額
八ツ花御鏡
一遍上人直筆額
北條氏政直爭書
日蓮上人直筆卷
弘法大師御作獅子
蓮糸の曼陀羅
右大將賴朝公像
鎌倉權五郎景政五人張矢
北條時政公陣羽織幷旗
仁田四郎忠常南蠻鐡〔足蹈轡〕
運慶御作唐獅子
淸國分捕品
右展覽を許す 當社
仁壽三年慈覺大師の創立(そうりう)する所にして。寶永三年十月社領十石の御朱印を賜ふ。其の他は片瀨村に在りしといふ。昔時は上之坊之か別當んたり。
[やぶちゃん注:「島
「北條氏政直爭書」の「爭」は「筆」の誤植であろう。
「創立する」の「る」の右上方には傍点「●」があるが、無視した。]
○奥津神社
西南の島頂(たうてう)に在り。もと本宮御旅所と稱す。素木造り組上にて。囘欄を施せり。拜殿には抱一の畫きし八方睨みの龜あり此に維持享和三年龍集昭陽大淵獻夏林鐘之月抱一製と題せり。毎年四月初の巳日に。本宮より神輿を爰に遷(うつ)す。神官等供奉し。伶人樂を奏す。東京あるひは鎌倉金澤。其他近郷より群參する者其の數量るべからず、駐在六ケ月にして。十月初の亥日に還輿あり。創立(そうりう)の年代詳ならず。元は岩本院の前に在りしと云ふ。
[やぶちゃん注:「八方睨みの龜」私はこの絵がすこぶる附きで好きである(但し、現在の拝殿天井のそれは綺麗な模写である。それでも好きである)。]
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