日本その日その日 E.S.モース(石川欣一訳) 第五章 大学の教授職と江ノ島の実験所 20
モースが坂で車の後押しを手伝うシーンが、なんともいい。
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図―141
午後は横浜に向けて出発。途中小村藤沢に立ちよった。江ノ島に一番近い郵便局はここにある。サンフランシスコからの汽船が着いたので、私宛の郵便が転送されていはしまいかと思って寄って見た。我我が郵便局に着いた時、恰度郵便が配付され始めた。図141は郵便局長が、手紙や新聞の雑多なかたまりを前にして、坐っている所を示す。私宛の手紙を日本の小さな村で受取ること、及び局長さんが、私の名を日本語で書いた紙片をつけた手紙の束を、渡してくれた無邪気な態度は、まったく新奇なものであった。私が単に「モースさん」といった丈で、手紙の束が差出された。他の手紙の配分に夢中な局長さんは、顔をあげもしなかった。横浜郵便局長の話によると、日本が万国郵便連合に加入した最初の年に、逓信(ていしん)省は六万ドルの純益をあげ、手紙一本、金一セントなりともなくなったり盗まれたりしなかったというが、これは日本人が生れつき正直であることを証明している。藤沢からの六マイル、私はゆったりして手紙を楽しんだ。だが、元気よくデコボコ路を走る人力車の上で、手紙をみな読もうとしたので、いい加減目が赤くなって了った。私は日本語をまるで話さず、たった一人で人力車を走らせることの新奇さを、考えずにはいられなかった。人人は皆親切でニコニコしているが、これが十年前だったら、私は襲撃されたかも知れぬのである。上衣を脱いでいたので、例の通り、人の注意を引いた。茶を飲むために止ると必ず集って来て、私の肩の上にある不思議な紐帯にさわって見たり、検査したりする。日本の女は、彼等の布地が木綿か麻か絹で織り方も単純なので、非常に我々の着ている毛織物に興味を持つ。彼等は上衣の袖を撫で、批判的に検査し、それが如何にして出来ているかに就いて奇妙な叫び声で感心の念を発表し、最後に判らないので失望して引き上げる。あまり暑いので、私は坂へ来るごとに、人力車を下りて登った。一つの坂で、私は六人の男が二輪車に長い材木をのせて、大いに骨折っているのに追いついた。私の車夫二人は車を置いて、この荷物を押し上げる手伝いをしたが、私もまた手をかして押した時には、彼等は吃驚(びっくり)して了った。坂の上まで行くと、彼等はアリガトウと、ひくいお辞儀との一斉射撃をあびせかけた。その時は八時を過ぎていて月はまんまるで明るく、私は車上の人となり、あけはなした家々の中をのぞきながら、走って行く経験を再びした。
[やぶちゃん注:「逓信省」底本ではこの下に、訳者による『〔駅逓局〕』という割注がある。日本はまさにこの明治一〇(一八七七)年の二月十九日にアジア諸国としては初めて万国郵便連合に加盟している。]
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