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2013/07/18

日本その日その日 E.S.モース(石川欣一訳)  第七章 江ノ島に於る採集 2 しゃぼん玉売り

 普通の種類の蠅がいないことは、この国の特長である。時を選ばず、蠅を一匹つかまえるということは、困難であろう。私はファンデイ湾の入口にあるグランド・メーナンに於て、魚の内臓等をあちらこちらにまき散らす結果、漁村は我慢出来ぬ程蠅が沢山いたことを覚えている。江ノ島は漁村であるが、漁夫達は掃除をする時に注意深く※(くずにく)を全部はこび去り、そしてこれを毎日行う。それに彼等は、捕えた物をすべて食うから、棄てられて腐敗するものが至ってすくない。加之、動物とては人間と鶏だけで馬、牛、羊、山羊等はまるでいない。鶏も数がすくなく、夜になると籠を伏せた中に入れられる。夜、牡鶏や牝鶏が人家へやって来て、やがて入れられる籠のまわりを、カッカッいいながら歩き廻り、誰か出て来て一羽一羽籠の中に入れる迄それを続ける所は中々面白い。

[やぶちゃん注:「ファンデイ湾の入口にあるグランド・メーナン」原文“at Grand Manan, at the entrance of the Bay of Fundy,”。「ファンデイ湾」は第五章の冒頭に「フンディの入江」として既出(「ファンデイ湾」はママ)。“Grand Manan”とは、そのフンディ湾の湾口に浮かぶグランド・ナマン島である。

「※(くずにく)」(「※」=「魚」+「荒」)原文は“offal”。この漢字はスズキ亜目ハタ科ハタ亜科アラ Niphon spinosus を指す漢字であるが、ここでは「くずにく」とルビを振っているように、食用に用いる魚の臓物や屑肉のことを指す。

「加之」若い読者には馴染みがなかろうが、これで「しかのみならず」と読む。漢文訓読調で、副詞「しか」+副助詞「のみ」+断定の助動詞「なり」の未然形+打消しの助動詞「ず」で、そればかりでなく、それに加えて、の意。]

 

M170

図―170

 

 前にも書いたことがあるが、町を行く行商人の呼び声は、最も奇妙で、そしていう進もなく、世界中どこへ行ってもそうだが、訳が判らぬ。ある時、それ迄聞きなれたのとまるで違った呼び声を耳にして駆け出して見ると、一人の男が長い竹の管から、あぶくを吹き出していた。あぶくは、石鹸でつくったものよりも一層美しくて、真珠光に富んでいた。石鹸といえば、日本人は全然石鹸というものを知らない。溶解液は二つのほっそりした手桶に入っていて、それを子供達に売る(図170)。外山氏がこの男に液体の構成を聞いた所によると、いろいろな植物の葉から出来ていて、煙草も入っているとのことであった。裸体の男があぶくを吹き吹き、時々実に奇妙極る叫び声をあげながら往来をのさのさ歩いている有様は、不思議なものだった。

[やぶちゃん注:シャボン玉売りである。国立国会図書館の「レファレンス協同データベース」の「江戸時代、洗濯に石鹸と洗濯板を使用したか。には、当時のしゃぼん玉は「無患子、芋がら、烟草などを焼いた粉を水に浸し、竹の細い管で吹くと玉が飛んで五色に光ってみえる」(喜多村信節『嬉遊笑覧』)とあるように、南蛮伝来のしゃぼんを使ったものではなかった、とあってここの記載によく合致する。この「無患子」とはバラ亜綱ムクロジ目ムクロジ科 Sapindus mukorossi。果皮はサポニンを含み、泡立つので石鹸の代用とされた。また、「守貞謾稿」(風俗史家喜田川守貞(文化七(一八一〇)年~?)が書いた風俗・事物を解説した類書、現在で言う一種の百科事典。起稿は天保八(一八三七)年、その後約三十年間に亙って書き続けた。全三十五巻(前集三十巻・後集五巻)。一六〇〇点にも及ぶ付図と詳細な解説によって近世風俗史の基本文献とされる。この記載は主にウィキの「守貞謾稿」に拠った)の「巻之六 生業下」に「さぽん玉賣」として以下の記載がある(本文は国立国会図書館デジタル化資料を視認したが、踊り字「〱」は正字化した)。

 

サボン玉賣 三都トモ夏月專ラ賣之大坂ハ特土神祭祀ノ日専ラ賣來ル小兒の弄物也サホン粉ヲ水ニ浸シ細管ヲ以テ吹之時ニ丸泡ヲ生ス

京坂ハ詞ニ「フキ玉ヤサボン玉吹ハ五色ノ玉ガ出ル云々

江戸ハ詞ニ「玉ヤ玉ヤ玉ヤ玉ヤ

Sabonuri

 

但し、附した図は岩波文庫版の「近世風俗志(一)」(同一書の別題)からスキャンしたものに私がキャプションを原本に合わせて独自に附したものである。]

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