記憶を捨てる 萩原朔太郎 (初出形)
記憶を捨てる
それは雨(あめ)にぬれてゐる、羊齒(しだ)の葉(は)が這(は)つてゐる。ぞくぞくとした植物(しよくぶつ)が繁茂(はんも)し、森(もり)の中(なか)が奥深(おくふか)く見(み)える。憂鬱(いううつ)な幻想(げんさう)の透視(とうし)に於(おい)て。
かつて生命(せいめい)はその瞳(ひとみ)をもつてゐた。何物(なにもの)かを明(あき)らかにみるところの瞳(ひとみ)を。恐(おそ)らくはその憂鬱(いううつ)なる透視(とうし)に於(おい)て、森(もり)の中(なか)の倒景(たふけい)をさへ。併(しか)し、悲(かな)しみの薄暮(はくぼ)はきた。印象(いんしやう)をして消(け)さしめよ。
森(もり)からかへるとき、私(わたし)は帽子(ばうし)をぬぎすてた。ああ、記憶(きおく)。恐(おそ)ろしく破(やぶ)れちぎつた記憶(きおく)、みじめな、泥水(どろみづ)の中(なか)に腐(くさ)つた記憶(きおく)。さびしい雨景(うけい)の道にふるへる私(わたし)の帽子(ばうし)。背後(はいご)に捨(す)てて行(ゆ)く。
[やぶちゃん注:『文章世界』第十四巻第八号・大正八(一九一九)年八月号に掲載された。「倒景(たふけい)」のルビはママ。
「後の散文詩集「宿命」(昭和一四(一九二九)年創元社刊)版では前二連がカットされて、以下のような詩形で所収されている。
*
記憶を捨てる
森からかへるとき、私は帽子をぬぎすてた。ああ、記憶。恐ろしく破れちぎつた記憶。みじめな、泥水の中に腐つた記憶。さびしい雨景の道にふるへる私の帽子。背後に捨てて行く。
*
他作品に合わせて冒頭一字下げとし、「恐ろしく破れちぎつた記憶、」の読点を句点に変えている。]