まぼろしの薔薇 大手拓次
まぼろしの薔薇
1
まよなかにひらくわたしの白(しろ)ばらよ、
あはあはとしたみどりのおびのしろばらよ、
どこからともなくにほうてくる
おまへのかなしいながしめのさびしさ、
夜(よ)ごと夜(よ)ごとまぼろしに咲くわたしのしろばらの花。
[やぶちゃん注:本詩に就いては、昭和五〇(一九七五)年現代思潮社刊現代詩人文庫「大手拓次詩集」の当該詩を見ると、
1
まよなかにひらくわたしの白(しろ)ばらよ、
あはあはとしたみどりのおびのしろばらよ、
どこからともなくにほうてくる
おまへのかなしいながしめのさびしさ、
ああ、
夜(よ)ごと夜(よ)ごとまぼろしに咲(さ)くわたしのしろばらの花。
と、「ああ、」という一行が五行目に存在しており(「咲(さ)く」にルビもあり)、これが正しい詩形と思われる。]
2
はるはきたけれど、
わたしはさびしい。
ひとつのかげのうへにまたおもいかげがかさなり、
わたしのまぼろしのばらをさへぎる。
ふえのやうなほそい聲でうたをうたふばらよ、
うつくしい惱みのたねをまくみどりのおびのしろばらよ、
うすぐもりした春のこみちに、
ばらよ、ばらよ、まぼろしのしろばらよ、
わたしはむなしくおまへのかげをもとめては、
こころもなくさまよひあるくのです。
3
かすかな白鳥(はくてう)のはねのやうに
まよなかにさきつづく白(しろ)ばらの花、
わたしのあはせた手のなかに咲(さ)きいでるまぼろしの花、
さきつづくにほひの白ばらよ、
こころをこめたいのりのなかに咲きいでるほのかなばらよ、
ああ、なやみのなかにさきつづく
にほひのばらよ、にほひのばらよ、
おまへのながいまつげが
わたしをさしまねく。
4
まつしろいほのほのなかに、
おまへはうつくしい眼(め)をとぢてわたしをさそふ。
ゆふぐれのこみちにうかみでるしろばらよ、
うすやみにうかみでるみどりのおびのしろばらよ、
おまへはにほやかな眼をとぢて、
わたしのさびしいむねに花をひらく。
5
なやましくふりつもるこころのおくの薔薇(ばら)の花よ、
わたしはかくすけれども、
よるのふけるにつれてまざまざとうかみでるかなしいしろばらの花よ、
さまざまのおもひをこめたおまへの祕密のかほが、
みづのなかの月のやうに
はてしのないながれのなかにうかんでくる。
6
ひとひら、またひとひら、ふくらみかけるつぼみのばらのはな、
そのままに、ゆふべのこゑをにほはせるばらのかなしみ、
ただ、まぼろしのなかへながれてゆくわたしのしろばらの花よ、
おまへのまつしろいほほに、
わたしはさびしいこほろぎのなくのをききます。
7
朝ごとにわたしのまくらのそばにひらくばらのはな、
きえてゆくにほひをとどめて、
しづかにうれひをひろげるしろばらのはな、
みどりの葉はひとつひとつのことばをのこして、
とほくきえてゆくまぼろしの白ばらのはな。
8
ゆふぐれのかげのなかをあるいてゆくしめやかなこひびとよ、
こゑのないことばをわたしのむねにのこしていつた白薔薇(しろばら)の花よ、
うすあをいまぼろしのぬれてゐるなかに
ふたりのくちびるがふれあふたふとさ。
ひごとにあたらしくうまれでるあの日のばらのはな、
つめたいけれど、
ひとすぢのゆくへをたづねるこころは、
おもひでの籠(かご)をさげてゆきます。
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