フランツ・カフカ「罪・苦痛・希望・及び眞實の道についての考察」中島敦訳 7
7
惡魔の用ゐる最も有效な誘惑術の一つは爭鬪への挑戰である。それは女との鬪ひに似てゐる。所詮は寢床の中に終るのだ。
[やぶちゃん注:原文。引用元では以下のように、ナンバーが連番で示され、以降、中島の訳とは番号がずれる。
7.8
Eines der wirksamsten Verführungsmittel des Bösen ist die Aufforderung zum Kampf. Er ist wie der Kampf mit Frauen, der im Bett endet.
新潮社一九八一年刊「決定版カフカ全集3」飛鷹節氏訳。以下のように、「7」と「8」が独立して訳されてあり、同じく以降は中島の訳とは番号がずれる。
七 悪が持っている最も効果的な誘惑手段の一つは、闘争への挑発である。
八 そうした闘争は、ベッドのなかの睦言で終る女たちとの諍いのようなものだ。
芥川龍之介「侏儒の言葉」より。
女 人
健全なる理性は命令してゐる。――「爾、女人を近づくる勿れ。」
しかし健全なる本能は全然反對に命令してゐる。――「爾、女人を避くる勿れ。」
又
女人は我我男子には正に人生そのものである。卽ち諸惡の根源である。
……あるいは……これも……
人生は狂人の主催に成つたオリムピツク大會に似たものである。我我は人生と鬪ひながら、人生と鬪ふことを學ばねばならぬ。かう云ふゲエムの莫迦莫迦しさに憤慨を禁じ得ないものはさつさと埒外に步み去るが好い。自殺も亦確かに一便法である。しかし人生の競技場に踏み止まりたいと思ふものは創痍を恐れずに鬪はなければならぬ。
最後に示したものは「侏儒の言葉」のうちの、「人生――石黑定一君に――」の掉尾の抜粋である。
にしても、カフカにもせよ龍之介にもせよ、このアフォリズムとしての命題が、そのベッドの中の睦言に終わる女たちとの男のたたかいが――実は常に女の一人勝ちである――という戦慄的事実の一点に於いて――永遠に宿命的に暗示的である――と私は思うのである。(藪野直史)]