日本その日その日 E.S.モース(石川欣一訳) 第七章 江ノ島に於る採集 1 片瀬川での採集
フォントの関係上、明朝体で示す。向後、この必要が有る場合は、本注を略にて示す。悪しからず。
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第七章 江ノ島に於る採集
図―169
昨日は実験所大成功だった。漁夫が、バケツに一杯、生きたイモガイその他の大きな貝や、色あざやかなヒトデや、私が今迄生きているのは見たことがない珍しい軟体動物を持って来た。すっかりで漁夫は二十セントを要求した。我々は何か淡水貝を見つけることが出来るかも知れぬと思って、我々が渡る地頸に近く海に流れ込む川を溯(さかのぼ)りながら採集し、若干の生きたシジミを発見した。また河口に近く、美事な Psammobia 数個と、更に上流で元気のいい、喧嘩早い蟹を何匹か捕えた。女や子供が数名、岸近くの水中を歩きながら、シジミをひろっていたが、これは食用品なのである。私はシジミの入った小さな籠を二つ、一つ二セントずつで買った。これ丈集めるのに、我々なら、半日はかかったであろう。水中のすべての生物は、下層民の食物になるらしい。貝類の全部、海老や蟹の全部、鮫、エイ、それから事実あらゆる種類の魚、海藻、海胆(うに)、海の虫等がそれである。私はハデイラ科のある物を煮たのを食ったが、決して不味くはなかった。あちらこちらに集った、舟や人々を配景として、川は絵画的であった。巡礼が川を下りて来る。老婆がシジミをひろっている。男が網を引いて餌をとっている。我々が戻ろうとしていた時、一般の舟が、江ノ島へ行く巡礼の一隊をのせてやって来た。船頭は二セント出せば、我々四人を渡してやるという。丁度干潮で、川の水がすくなかった為に、我々は何度も飛び下りては、他の人々を助けて舟を押した(図169)ので、我々は文字通り、渡船賃をかせいだようなことになった。
[やぶちゃん注:これは磯野先生の前掲書によれば、八月八日のことである。
「イモガイ」原文“cones”。腹足綱新腹足目イモガイ科イモガイ亜科 Coninae のイモガイ類。
「我々が渡る地頸に近く海に流れ込む川」「地頸」(原文“the neck of
land”)とは両側から海が迫って大陸の一部が極端に狭まった地形、一般には地峡、即ちパナマやスエズのような場所を言うが、ここは砂嘴(通常なら“spit”又は“sand spit”)のことを指しているから、この川は境川(河口付近では片瀬川と呼称)である。
「Psammobia」二枚貝綱マルスダレガイ目シオサザナミ科シオサザナミ亜科
Psammobia 属に属するシオサザナミ Psammobia (Gari) truncata やアサヒガイ Psammobia (Gari) weinkauffi などの仲間かと思われる。グーグルの画像検索「Psammobia」で見て戴ければモースが「美事な」と称しているのが(私は納得出来る)お分かり頂けるであろう。
「上流で元気のいい、喧嘩早い蟹」勿論、この叙述だけでは同定は出来ないが、記載の印象としては相応に大きいように思われ、するとやや河口から上流で採取されたという点からは十脚(エビ)目抱卵(エビ)亜目短尾(カニ)下目イワガニ科モクズガニ
Eriocheir japonica ではないかと私には思われる。彼等は秋に向かって生殖のために河川を下り始めるからである。
「ハデイラ科のある物」原文は“Trochus”。これはニシキウズガイ科
Trochidae の仲間を指す学名と考えられ、恐らくは腹足綱古腹足亜綱ニシキウズガイ科ニシキウズガイ上科クボガイ科コシダカガンガラ属バテイラ(馬蹄螺)Omphalius pfeifferi
pfeifferi のことと私は同定する。中国語ではニシキウズガイ科 Trochidae は「馬蹄螺科」と称する。]