耳囊 卷之七 又、久兵衞其術に巧なる事
又、久兵衞其術に巧なる事
享保の比(ころ)は、牛天神邊は今の通(とほり)には無之(これなく)、あさまにて淋しき事也しが、右近邊の武士武術に□りて辻切(つじぎり)抔せしに、又はよからぬ盜賊業(たうぞくわざ)にもあるや、天神の坂のうへより追(おひ)おろし、人をなやます者ありし。久兵衞所用ありて夜中牛天神の坂を上りしに、大男壹人刀を拔(ぬき)て久兵衞に打掛りしに、久兵衞少しもさはがず短刀拔て淸眼(せいがん)に構(かまへ)、彼(かの)惡徒に立向(たちむか)ふ。怺(こら)え難くやありけん、段々跡へしさりしに其儘押行(おしゆく)に、彼者後じさりして天神の崖上より眞さかさまに谷へ落ける故、久兵衞は我宿へ歸りぬ。彼もの所々怪我して暫く惱(なやみ)しが、快(こころよく)なりて近き町家へ多葉粉求(もとめ)に來りしに、久兵衞も同じく多葉粉調へ歸りけるを、彼惡徒能々見て、渠(かれ)こそ此間(このあひだ)牛天神にて出合(であひ)し老人成りと怖しく思ひ、多葉粉屋にて其名を尋(たづね)しに、あれこそ劔術の達人と呼(よば)れし久兵衞なりといふ故、初(はじめ)て驚(おどろき)ける。實に左あるべしと我(わが)惡意を飜(ひるがへ)し、多葉粉屋に去(さる)事語り、何卒世話して弟子と成度(なりたし)と乞(こひ)し故、其事申(まうす)通り弟子に成(なり)、夫(それ)より久兵衞武術の大事等傳授なして後、質實の武士となりしと也。
□やぶちゃん注
○前項連関:真木野久兵衛本格武辺譚で直連関。
・「あさまに」は形容動詞「淺まなり」で、浅いさま・奥深くなく、剝き出しになっているさまの謂いであるから、草木もあまり生えていないような、地肌が剝き出しになっている状態を指すのであろう。
・「□りて」底本には『(凝カ)』と右に傍注するが、岩波のカリフォルニア大学バークレー校版では「誇りて」とあり、この方がよい。これで訳した。
・「牛天神の坂」牛天神(現在の北野神社。切絵図を見ると『別當龍門寺』とあるが明治の廃仏毀釈で消滅した)は水門屋敷の西にあって、神社を下った南に神田上水が流れており、そこから向かって牛天神の左手(西)に安藤坂がある。その安藤坂は牛天神の背後近くで左に鉤の手に折れて伝通院前まで続くが、これを折れずに進むと牛石という大石(現在は神社境内に移されている)にぶつかって右手に折れる牛天神裏の道になる。ここが牛坂である。
・「淸眼」底本には右に『(正眼)』と訂正注がある。
■やぶちゃん現代語訳
又 久兵衛その剣術に巧みなる事
享保の頃は、牛天神(うしてんじん)辺りは今のようには開けたところにては、これなく、崖の地肌なんども赤土が剝き出しになった、それは荒れ果てた寂しい場所であった。
この近くに住んで御座った武士が、己(おの)が武術に誇り、所謂、辻切りなんどを致いて御座った。また、この辺りは普段より、よからぬ盜賊のなす業(わざ)でもあったものか、天神の坂の上より、通行人を南の天神の裏手へと追い落し、金品を奪うなんどといった不逞の輩もたびたび出没しておったと申す。
さてもある日の夜中、久兵衛、所用の御座って、牛天神の坂を上って行って御座ったところ、突然、大男が一人、太刀を抜き放って、久兵衛にうち掛かって参った。
久兵衛はしかし、少しも騒がず、短刀を抜いて、右手一本に差し出だし、これを正眼(せいがん)に構え、その悪徒にたち向かって御座った。
短刀ながら――その微動だにせぬ鋭い先鋒から放たれた、尋常ならざる久兵衛の気魄に――これ、堪(こら)え難くなったものか、悪徒は、
――じりっ――じりっ――
と、後ろへしさって行く。
久兵衛は変わらぬゆっくりとした速さで、
――すすっ――すすっ――
と前へ進む。
悪徒と久兵衛が間には、まるで目に見えぬ何かが挟まっておるかの如、久兵衛の進むのと、悪徒が押されてしざるのが、同時に起こるので御座る。
と!
――ずざざざざざぁざぁッ……
と、かの悪徒は後じさりし過ぎて、天神裏の崖の上より、真っ逆さまに天神の背後の谷底へと落ちてしもうたと申す。
――カチン
久兵衛は短刀を静かに戻すと、何事もなかったかのように己が屋敷へと帰って御座った。
さて、かの悪徒はと申せば、知らずに崖を後ろ向きに落ちたため、体のあちこちに打ち身やら切り傷を致いて、暫くの間苦しんでおったが、何とか全快致いたと申す。
その快癒致いた日のこと、近くの町家へ、病み臥せっておったうちは吸えなんだ煙草を求めに参った。
店に入って、煙草の葉なんどを品定めしておった最中、かの久兵衛も同じく煙草を買いに参って、彼に気づくことものう、親しげに主人と軽い言葉を交わした後、買い調えると店を出て行った。
かの悪徒はその間、よくよく男の顔を見てからに、
『……か、かの男こそ……この間、牛天神にて出逢った老人ではないかッ?!……』
と悟った。その瞬間、もう体がぶるぶると震え出すほどに怖しゅう感じた。
久兵衛が去った後、男は煙草屋に、
「……い、今の御仁はどなたで御座る?」
とその名を尋ねたと申す。
すると主人は、
「あのお方こそ、この辺りにて『剣術の達人』と誉れの高い、真木野久兵衛さまで御座います。」
と答えたゆえ、それを知って今更ながら驚いたと申す。
「……まことに……そうで御座ったか……」
と、この一刹那、己れの太刀への悪しき驕りの気持ちは雲散霧消、その煙草屋主人に去(いん)ぬる日の出来事を包み隠さず語り、
「――何卒、仲介の労をおとり下さるまいか? 何としても――お弟子となりとう御座る!」
と乞うた。
されば煙草屋主人が仲立ちとなって、久兵衛殿に面会することが叶い、そこでも素直にかの夜の謝罪をなした上、入門の懇請を致いたと申す。
久兵衛はそれを聴くと、何と、その場にて、即座に入門弟子入りを許した。
それより久兵衛は当流の武術奥義など、すべてを、この弟子に伝授なしたと申す。
この高弟はその後も永く、誉れ高き質実剛健の武士として名を残した、とのことで御座る。
« 郵便局の窓口で 萩原朔太郎 | トップページ | 栂尾明恵上人伝記 50 私は何度も淫らなことをする一歩手前までいった…… »