日本その日その日 E.S.モース(石川欣一訳) 第七章 江ノ島に於る採集 10 地引網見学
昨日長い砂浜で、漁師達が、長さ数千フィートの繩がついている、大きな網を引きあげた。殆ど全部が裸の、漁夫や男の子達が、仕事を手伝っている所は、誠に興味があった(図174)。大きなうねりがさかまいて押しよせた。人々は面白い思いつきの留木を用いて、繩にぶら下った。それは六フィートばかりの繩で、一端は輪になっており、これを腹のまわりにまきつけ、他端には大きなボタンみたいな木の円盤がついている。このボタンを巧みに投げると、それが網の繩にまきついて、しっかりと留まる。私は図175でそれを明瞭にしようと試みた。我国の漁夫も、この方法を知っているかも知れないが、もし知らぬならば真似をすべきである。これは繩を非常にしっかりとつかみ、取り外しも至極楽で、また速に繩にくつつけることが出来る。網が見え出すと、多数の人が何が捕れたかを見る為に、集って行った。私はこの裸体の人々の集団の中に無理に入って行って、バケツに一杯、各種の海産物を取った。私はそれ迄、自発的の群衆がこれ程密集し得るとは知らなかった。まるで鰯(いわし)の缶詰である。
[やぶちゃん注:図175に示された道具は「腰板」とか「こしび」と呼ばれるものであるらしい。「ヤフー」の「知恵袋」で(消失する可能性があるのでリンクは示さない)、
《引用開始》(記号の一部を変更した)
地引網(地曳網)で使う道具の名前を教えてください。
腰に付け、地引網のロープに巻きつけると握力が無くても楽に引っ張れる道具です。
その道具は7、8センチメートルくらいの四角い板の真ん中に穴があいており、そこにロープを通してくくり付け、ロープの先端にとめてあります。
地引網の太いロープにくるりと巻くと引っかかり、一定の方向に対してはいくら引っ張っても取れません。
ロープの手元は大き目の輪になっており、腰(というより骨盤の辺り)に巻いて体全体で引っ張れます。
便利だなぁと思っていたのですが名前を忘れてしまいました。
どなたか宜しくお願いします。
《引用終了》
という kaishain110 氏の質問に対して、pantan0724 氏が以下のように答えておられる。
《引用開始》
どのような形状かなど詳しいことが解らないのですが、以前 地引網の道具に【腰板】というのがあり、腰の力で網を引っ張るためのものだという説明を聞いたことがあります。
ただ、実際に見た訳ではないので 説明を聞いてもピンと来ず、質問者さんのいう道具と同じモノかは全く解りませんが、なかなか回答も付かないみたいなので なにかの役に立つかもとおもい回答させて頂きました。
《引用終了》
とあり、その下に『参考』として『広報とうほく』の二〇〇六年三月号に載る「氷下曳網漁」3ページ右下に写真付きで説明があると記され、『ただ 板の名前はここには載っていなくて、板を使い腰で引く引き方が【コシビキ】という方法で有ることが載っています』。『こちらは 淡水のようですが、千葉の九十九里(海)の方での曳網もコシビキという方法で網をよせるらしく、このとき巻き付けるロープの部分を“こしび”と呼んでいるらしいです』。とあり、質問者もそれで間違いないと思われる、と返している。質問者の説明がまさにこのモースの叙述と絵に美事に一致するではないか!……「腰板」で検索しても、この道具の画像は遂に出て来なかった。……日本を愛したモースの霊を私は真近に感じたような気がした……
「数千フィート」原文は“several hundred feet long”であるから「数百フィート」の誤訳である。100フィートは30・48メートルであるから、日本語の「数千」の感覚(3000から6000程度の漠然とした数をいう)に直せば、92~183メートルとなる。当時の船を用いないタイプの地引網の長さは片側が90メートルから、長くても200メートルほどであったと思われ、流石にドレッジをするモースは的確に長さを目測している。
「六フィート」約1・8メートル。]
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