故郷や臍の緒に泣く歳の暮 芭蕉 萩原朔太郎 (評釈)
故郷や臍の緒に泣く歳の暮
芭蕉がその故郷に歸り、亡くなつた父母の慈愛のことを考へ、昔の有りし日の慈愛を思ひ出して作つた句である。「臍の緒に泣く」といふ言葉の中に、幼時の懷かしい思ひ出や、父母の慈愛の追懷やが忍ばれて、そぞろに悲しみをそそる俳句である。
[やぶちゃん注:『コギト』第四十二号・昭和一〇(一九三五)年十一月号に掲載された「芭蕉私見」の中の評釈の一つ。昭和一一(一九三六)年第一書房刊「郷愁の詩人與謝蕪村」の巻末に配された「附錄 芭蕉私見」では、以下のように評釈が全く異なっている。
故郷や臍の緒に泣く歳の暮
生涯を旅に暮した芭蕉も、やはり故郷のことを考へ、懷かしく追懷して居たのである。或る寒い年の暮に、彼は到頭その生れた故郷に歸つて來た。そして亡き父母の慈愛を思ひ、そぞろに感慨深くこの句を作つた。「臍の緒に泣く」といふ言葉は奇警であつて、しかも幼時の懷かしい思ひ出や、父母の慈愛深い追懷やが、切々と心情から慟哭的に歌はれて居る。
批評家然として句との距離を置き、事大主義的に「追懷」を二度繰り返し、「奇警」「切々と心情から慟哭的に」などといった如何にもな言辞を粉飾したこれよりも、初出の方が遙かに初読印象の直感的感銘を素直に伝えていると私は思う。]
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