怠惰の曆 萩原朔太郎
怠惰の曆
いくつかの季節はすぎ
もう憂鬱の櫻も白つぽく腐れてしまつた
馬車はごろごろと遠くをはしり
海も 田舍も ひつそりとした空氣の中に眠つてゐる
なんといふ怠惰な日だらう
運命はあとからあとからとかげつてゆき
さびしい病鬱は柳の葉かげにけむつてゐる
もう曆もない 記憶もない
わたしは燕のやうに巣立ちをし さうしてふしぎな風景のはてを翔つてゆかう。
むかしの戀よ 愛する猫よ
わたしはひとつの歌を知つてる
さうして遠い海草の焚けてる空から 爛れるやうな接吻(きす)を投げやう
ああ このかなしい情熱の外 どんな言葉も知りはしない。
[やぶちゃん注:詩集「靑猫」(大正一二(一九二三)年一月新潮社刊)の「閑雅な食慾」の巻頭詩。それが初出である。「投げやう」はママ。]
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