日本その日その日 E.S.モース(石川欣一訳) 第七章 江ノ島に於る採集 4 磯採集!
昨日我々は、干潮で露出した磯へ出かけた。水溜りの大きな石の下面を、我々が調べることが出来るように、それを持ち上げてひっくり返す役目の男も、一人連れて行った。収獲が非常に多く、また岩の裂目に奥深くかくれた大きなイソガイ、生きてピンピンしている奇麗な小さいタカラガイ、数個のアシヤガイ(その見殻は実に美しい)、沢山の鮑、軟かい肉を初めて見る、多くの「属」、及びこれ等すべての宝物以外に、変な蟹や、ヒトデや、海百合(ゆり)の類や、変った虫や、裸身の軟体動物や、大型のヒザラガイ、その他の「種」の動物を、何百となく発見する愉快さは、非常なものであった。今日我々はまた磯へ行き、金槌で岩石を打割って、ニオガイ、キヌマトイガイ、イシマテ等の石に穴をあける軟体動物を、いくつか見つけた。私はこれ等の生きた姿を写生するので大多忙であった。我々の建物は追い追い満員になって来て、瓶や槽の多くはもう一杯である。材料の豊富は驚くばかりである。顕微鏡をのぞいてばかりいるのに疲れた私は、休息として我々の小舎を写生した。海岸を見下す窓――というか、とにかく開いた所――で私は勉強するのだが、その外でいろいろな珍しいことが起るので、時としては中々勉強をしていられない。この写生図(図172)によって、実験所の内部の大体が判るであろう――枠に布を張り、その上でヒトデや海胆を乾燥もするが、このような仕事には、とかく、ガタビシャ騒ぎがつきものである。
[やぶちゃん注:これは磯野先生の前掲書によれば、八月十日及び翌十一日(岩礁を破砕して穿孔性の貝類を採取しているシーン)のことである。同書によれば、十一日には地引網も見学、採れた動物をかなり譲って貰ったらしい。実験所の内部のスケッチは奥左の風景から江の島の砂州の方に向かった、西北側を向いて描いたもののように思われる。見ると窓は右の棚の奥にもあるようで、そうすると、当初、私が図―151で想像したのとは違って、中央部は壁になっているようである。
「岩の裂目に奥深くかくれた大きなイソガイ」原文“hidden away in the
crevices, large cones,”「イソガイ」は、石川氏が岩礁の岩の割れ目に棲息している貝だから「磯貝」とした可能性と、単純に「イモガイ」を「イソガイ」と誤植した可能性の二様が疑われる。“cone”は腹足綱新腹足目イモガイ科 Conidae に属するイモガイ類の仲間の汎用的な一般総称であるし、既に石川氏はこれを「イモガイ」と訳しておられるので、私は出版社の誤植の可能性が極めて高いように感ずるものである。
「タカラガイ」原文“Cypræa”。腹足綱直腹足亜綱下綱新生腹足上目吸腔目高腹足亜目タマキビ下目タカラガイ超科タカラガイ科 Cypraeaidae のタカラガイ属 Cypraea に属するタカラガイ類の英語総称の一つ(同属だけで世界で凡そ230種、本邦産は90種弱とされる)。現在、和英辞典では“Cowry”や“Cowrie”と載るが、私はこの学名にもなっている美しい発音の“Cypræa”(キプラエア)で呼びたい欲求に駆られる。この属名はギリシャ語の“Kypris”女神キプリス(ラテン語で“Venus”ヴィーナス=アフロディテ)に基づくラテン語の“Cypria”(キプリア)に由来する。
「アシヤガイ」原文“Stomatella”。誤訳。ニシキウズガイ科アシヤガイ Granata lyrata ではない。アシヤガイはモースが「実に美しい」(原文“exquisite”)と言うほどに美しくないからである。磯野先生はこれをどうもフルヤガイ
Stomatia phymotis に同定なさっておられるように見受けられるのであるが(前掲書の日録の中の採取掲載種の和名列からの類推であるが、この記載は助手の松村任三の記載も参考にしているのでフルヤガイも採取記載にあったものかも知れない)、これも地味な貝で納得出来ない。これは表記通りの属名を持つところのニシキウズガイ科ヒメアワビ亜科ヒメアワビ
Stomatella 属の仲間「ヒメアワビ」類ではなかろうか? かなりの小型種であるがヒメアワビ Stomatella varita や、それより大きいヒラヒメアワビ
Stomatella impertusa などは、アワビのような孔列もなく、表面も繊細で、何より、内面の真珠光沢が非常に美しいからである。試みにグーグルの画像検索の「Stomatella」のそれらしいものをご覧あれ。……美しいでしょう?……いや、私は美しいと思いますよ。……
「鮑」原文“Haliotis”。原始腹足目ミミガイ科アワビ属
Haliotis の属名。ギリシャ語の“Halios”(海)+“otos”(耳)に由来する。この属名には Nordotis というシノニムがあるようだ。
『軟かい肉を初めて見る、多くの「属」』原文は“and a number of
genera, the soft parts of which were new to me;”であるが、貝類の羅列の後の示されていることから、ここは狭義の貝類、それも軟体部(外套膜)を派手に露出する腹足類(巻貝類)の採集種を指しているように思われる。磯野先生の前掲書ではしかし、トコブシを挙げている。確かに潮溜りであればミミガイ上科ミミガイ科トコブシ属フクトコブシ Sulculus diversicolor 亜種トコブシ Sulculus diversicolor
supertexta か、広く形状の似たミミガイ科の仲間である可能性の方が高い。
「変な蟹」原文“the quaintest crabs”。“quaint”という単語は変な英語だな、と思ったらラテン語由来の古フランス語が元。①古風な趣き(魅力)があって風変わりで美しい、洒落た、粋な。②(皮肉を込めて)風変わりで面白い、珍妙で楽しい。③巧妙に作られた。といった意味を持つ。勿論、これから正しい同定は出来ないものの、モースにとって“quaintest”すこぶる附きで風変わりで面白い奇抜な印象を与え、容易にタイド・プールで採取出来る蟹とするならば、甲羅に海藻を擬装するイソクズガニやヨツハモガニ、外骨格が柔らかい上に歩脚が長くて動作の鈍いトウヨウヤワラガニ、凝っとしている石ころにしか見えない奇体なソデカラッパ、周縁や鋏脚が鮮紅色で美しベニツケガニ(紅付蟹)類などが想起される。モース先生が何を“quaintest!”といって採り上げられたのか?……私はそこでそれを一緒に見たい気持ちに……無性に駆られているのである……
「海百合の類」原文“Comatulas”。ウミシダと訳すべきところ。棘皮動物門ウミユリ綱ウミシダ目 Comatulida に属するウミシダ類の一属名に“Comatula”がある。例えばアシカケクシウミシダ Comatula pectinata (Linnaeus, 1758) 。ウミシダは羽根のような枝を多数持った、一見、海藻のような姿をした動物である。ウィキの「ウミシダ」によれば、ウミシダ類は多数の腕を中心の体から輪生状に伸ばし、根のような形の枝で他のものにしがみついている動物で、羽根のような腕を広げる姿は、確かにシダ類に似ている。化石を多く含むウミユリ綱の動物の基本的な姿は、丁度、一輪だけ花をつけたユリに似ており、長い茎(柄部)の基部に固着のための腕(仮根)を持つ。花にあたるのは本体である萼部(calyx)と、そこから輪生状に出る腕である。ウミシダはこの萼部から下を切り離した形をしており、別名を無茎ウミユリ類(non-stalked crinoids)とも言われる。ウミユリ類が基本的に固着性であるのに比べ、ウミシダは移動が可能で、種によっては腕を動かして活発に遊泳することも出来る。棘皮動物で遊泳の可能なのは、この類と、近年発見されたごく一部の深海性ナマコだけである。ウミユリ類は古生代からの長い歴史を持ち、かつては非常に繁栄したが、現在では深海にしか見られず、現在の海で広く普通に見られるのはウミシダ類だけである。種数においても現生ウミユリ綱の大半はウミシダである。それらはすべてウミシダ目にまとめられている、とある。以下、「形態」の項。『本体はほぼ円錐形の萼部(crown)からなる。萼部の上面はほぼ扁平な口盤(oral disc)となっており、その中に口と肛門がある。口はほぼ平らな面にあり、これを中心に歩帯溝が配置する。歩帯溝(ambulacral groove)または食溝(food groove)は口の周りでは五本であるが、枝分かれしてそれぞれ腕につながる。肛門は口の横、歩帯溝の間にあり、口盤の面から上に突き出しているのでよく目立つ』。『萼部の下面は中央が下に突き出し、その中心には中背板となっており、その周りに輪生状に巻枝(cirrus)が並ぶ。巻枝は短い腕のようなもので、関節に分かれ、巻くように動く。ウミユリ類ではこれは上向きになっているが、ウミシダでは下向きに伸びて、下向き中央側に巻き込むことが出来る。周辺部には腕の骨盤が並ぶ。腕は基部では五本であるが、萼周辺に向かって分枝して十本、あるいはそれ以上になる。その分枝のようすは萼の下面では骨盤(分岐板列という)の配置で、口盤側では歩帯溝で確認できる』。『腕は細長く、表面は骨板に包まれ、多数の関節を持っている。腕からはさらに細い枝が両側に出て、これを羽枝(pinnule)と呼ぶ。羽板にも多数の関節があり、内向きに巻くように動かせる。羽枝はほぼ腕全体から出るため、全体としては鳥の羽や細長いシダの葉のような姿となる。腕も羽枝も内側に巻き込むことが出来る。口から伸びる歩帯溝は腕の上面中央を腕の先まで走り、ここには管状の管足が並ぶ。管足は吸盤状ではなく、触覚と呼吸、それに排泄の役割を持つ。歩帯溝にはまた繊毛があり、ここでデトリタスなどを口まで運んで食物とする。腕の数は、基本の腕の数の五なので、少なくとも五本の腕を持つ理屈であるが、五本しか持たない例(イツウデウミシダ科など)は少なく、ほとんどが少なくとも一回二叉分枝した十本か、あるいはさらに分枝してより多くになり、100本に達する例もある。分枝は基本的に萼の部分で生じて、腕が遊離してからは分枝しない。なお、腕の基部にある羽枝はより大きく発達し、これは口盤を保護する』。内部形態は『萼内部は広く体腔となっており、それは体腔管として腕の先まで伸びている』。『消化管は口と肛門が共に口盤に開くので、萼の内部の体腔内でU字型となるが、実際にはそこで巻いており、三周ほど巻く例もある。構造的には比較的単純な形をしている』。『神経系は口の下に環状の口下側神経環があり、そこから各腕に放射神経が伸びる。また、中背板から腕に続く腕板と呼ばれる骨片には腕板神経が伸びる』。『循環系としては水管系があり、神経より内側で神経に併走するように環状水管と放射水管がある』。「生態」の項。『一般には不活発な動物であり、海底の岩やサンゴなどの上に巻枝でしがみつき、腕を広げてデトリタスなどを集めて食べる。腕や羽枝の表面の管足でそれらを集め、歩帯溝の繊毛の流れで口まで運ぶが、時折は触手を巻き込んで口のそばまで運ぶのも見られる』。『巻枝は基盤にしがみついているだけなので、これを離せば移動が可能である。巻枝を使って這ったり、腕を伸ばしてたぐるように這うこともある。腕を羽ばたくように動かして泳ぐことが出来る種もある。ただし常に泳いでいるようなものはない。流れ藻について移動する例は知られている』。『ウミシダの腕は折れやすく、刺激を受けると自切することもある。寄生ないし共生する生物もある。スイクチムシやカクレエビなどがその腕の間などに住み着く例がある』。「生殖と発生」の項、『雌雄異体であり、体外受精を行う。生殖巣は腕全体に伸び、羽枝の表面から放卵と放精が行われる。これらは年間の特定の日の特定の時刻に行われる、という風になっている。その際、切り離した腕を実験室の水槽に入れておいても、同じタイミングで放卵放精が見られるという』。『初期の幼生はドリオラリアと言い、楕円形の体の上端に繊毛群を持ち、体の途中に五つの環状の繊毛帯を持つ。この幼生は数日間の浮遊期間の後に上端で海底の基物に固着し、シスチジアン幼生からペンタクリノイド幼生へと進む。これは柄があってウミユリに近い形で、ここから柄を切り捨てるようにして成体の形となる。一部では直接発生をするもの、腕に保育装置を持つものが知られている』。分布的には『世界の海に広く分布するが、熱帯地方に多い。深海に生息するものも、浅い海域に住むものもあり、一部は潮下帯や潮だまりでも観察される。なお、ウミユリ綱で浅い海域に見られるのはこの類だけである』とあり、『日本付近で海岸の潮間帯でも比較的よく見ることができる種としては、大型のものではオオウミシダ
Tripiometra afra
macrodiscus、ニッポンウミシダ Oxycomanthus japonicus、小型のものではトラフウミシダ Decametra tigrina、ヒガサウミシダ Lamprometra palmataなどがある。外洋性の海岸に見られることが多い』。ウミシダ類はすべてウミシダ目に所属し、ここにウミユリ綱の現生種の大半が含まれる。世界に五五〇ほどの種があり、二亜目十四科ほどに分ける。日本では一〇〇種ほどが知られる、とあって以下、分類表が載る。モースが採取したのがどの種であったものか、私は実際に自然状態でのウミシダを観察実見したことがない。それだけに強く惹かれるのである。
「変った虫」原文は“strange worms”とあるから、環形動物のゴカイやイワムシ類、線形動物のヒモムシ類などを指しているから、「蠕虫」と訳すべきところ。
「裸身の軟体動物」原文“naked mollusks”。後鰓類(ウミウシ)の類である。モース先生の見たのは何だのだろう。すぐには出典を思い出せないのであるが、江の島の現在のヨット・ハーバーのある岩礁の潮下帯上辺の岩の下には、かつて昭和天皇が発見した(のではなかったかと思う)オレンジ色の美しいウミウシが美しく群棲していたそうである。
「ヒザラガイ」原文“chitons”。既出。軟体動物門多板綱新ヒザラガイ目クサズリガイ科ヒザラガイ Acanthopleura japonica またはその近縁種。
「ニオガイ」原文“Pholas”。斧足(二枚貝)綱オオノガイ目ニオガイ科
Pholadidae の標準属名である。但し、よく見かける本邦産の和名ニオガイBarnea (Anchomasa) manilensis
inornata やオニニオガイ Barnea (Anchomasa) manilensis は属名が異なる。英語版“Wikisource”の“Natural History, Mollusca by Philip Henry Gosse”の“Mollusca”(軟体動物)の節に載る、ゴスの“PHOLAS”(ニオガイ類)の穿孔状態の博物画が載る。以下に示す。
「キヌマトイガイ」原文“Saxicava”斧足(二枚貝)綱オオノガイ目キヌマトイガイ上科キヌマトイガイ科 Hiatellidae の貝類は岩石への穿孔や足糸による他物への着生が知られる。現在、本邦のキヌマトイガイは Hiatella orientalis の学名を持つが、これに Saxicava arctica と当てたものを見出したので、同科の仲間であることは間違いない。英語版“Wikisource”の“Natural History, Mollusca by Philip Henry Gosse”の“Dimyaria”(二筋類)に載る、ゴスの“SAXICAVA”類の穿孔状態の博物画が載る。以下に示す。
「イシマテ」原文“Lithodomus”。斧足(二枚貝)綱翼形亜綱イガイ目イガイ科イシマテ属Lithophaga 亜属 Leisolenus イシマテ(イシワリ)Lithophaga(Leiosolenus) curta。殻は前後に細長く円筒形、人体の後端背縁でわずかに高まり、殼表は褐色で成長脈のみで外に彫刻はなく、ところどころに石灰層を附着する。切開創は後端が厚く、かつ殻の端よし少しく延長され、腹面には縦襞状に刻まれている。内面には歯も内縁刻も見られない。本類は珊瑚礁や岩石に穿孔して棲息し、甚だしい場合は他個体の殻にも穿孔する。海岸の岩礁帯の無数の小穴は本類の他、先のニオガイやニオガイ科カモメガイ
Penitella kamakurensis・同科スズガイ Jouannetia cumingii などが穿孔したものである(以上は昭和三四(一九五九)年保育社刊吉良哲明著「原色日本貝類図鑑」の記載に基づく)。グーグル画像検索「Lithophaga curta」をリンクしておく。
「このような仕事には、とかく、ガタビシャ騒ぎがつきものである。」原文は“and
all the clutter that such work entails.”。“clutter”は混乱状態・紛糾の意。“entail”は~を伴う、引き起こす・強いるの意で、まさに石川氏の「~がつきものである」の謂いである。]
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