栂尾明恵上人伝記 52 空中浮揚
或る時、木工權頭孝道參られたるに、法談の次(ついで)に命ぜられて云はく、是に亡者(まうじや)の琵琶とて人のたびて候、御覽ぜよとて取り出されけり。甲は華梨(かりん)の木のひたわたりなりけり。能々孝道見て申しけるは、是はよろしき琵琶にて候。一定(いちじやう)能くなりぬと覺え候と云々。上人仰せられけるは、あはれ、緒(を)をかな懸けて彈かせ奉つて聽聞し候はんと宣ふ。孝道、「折節緒を持ち候とて、懷より疊紙(たゝうがみ)取り出して緒をかけて、暫く調べすまして引きすましたりけり。折節靜なる夕暮の程、ことに殊勝に類(たぐひ)無く聞えける。いひ知らぬ下法師迄も感涙を流しけり。上人も感に堪へずして前の緣にかけられたる簾臺(れんだい)の竿(さほ)にそとあがりて、尻をかけ給ひて足さしのべて、簾に拍子打ちてぞ御坐しける。御前の諸人(もろびと)皆奇異の思ひをなしき。又暫く有りて、又そと下り給ひて、空にて聞き候へば、猶殊勝にこそ候へと仰せられける。かゝる神變(しんぺん)がましき事をば隱し給ふ人の、感に堪へず覺えずして、かゝる御振舞のありけるやらむ。
[やぶちゃん注:ここでは明恵は何と、空中浮揚をして簾の細い竿にふうわりと腰かけて聴いたということであろう。だからこそ虚「空にて聞」くとなお素晴らしかったと言っているのであり、人々も「かゝる神變がましき事」と述べているとしか思われない。
「木工權頭孝道」「もくのごんのかみたかみち」と読む。藤原孝道(仁安元(一一六六)年~嘉禎三(一二三七)年)は雅楽家。琵琶の家に生まれ、父孝定および藤原師長(もろなが)に学び、演奏・製作・修理に優れた。長じて師長に仕えて木工頭楽所預に就任して西流の当主となり、琵琶の秘事や口伝に残した(講談社「日本人名大辞典」に拠った)。
「緒」弦。]
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