教え子T.S.君の昨日の「山月記」の旅
教え子のT.S.君が昨日、中島敦の「山月記」で(というよりも厳密には原作の李景亮の「人虎傳」で。リンク先は孰れも僕の電子テクストで後者は僕の教師時代の授業ノートであるが、中に「人虎傳」のオリジナル・ダイジェストがある)、李徴が虎に変身した「汝墳」(河南省平頂山市汝墳店)を訪ねた写真を贈って呉れた。
T.S.君は、時間の関係上、行こうとして行けなかった少し北方にある汝水市の汝水の畔りが真の同定地ではないかとしているのであるが、僕はこの彼が訪れた「汝墳店」こそが「人虎傳」の「汝墳の逆旅」のあった場所である、と信じて疑わない。僕なりの考証をT.S.君には先程伝えたが、下々しくなるのでここではそれは記さない。
それらは行ったこともない場所なのに……僕の心の中で……僕自身のパトスと離れ難く融合してしまった「山月記」世界への……ある玄妙な……不可思議な懐かしさを……感涙窮るものとして呼び起こすに相応しい景色の数々であった。
僕はその恩に微力ながら報いたいと思う。
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汝墳店を流れる沙河の流れ――
……僕はそこへ遂に戻ってきた……あの……懐かしい日のあの変わらぬ川の流れ……藻のゆらぎ……
「ソラリスを想起させました。」(T.S.君の消息文より)
Андрей Тарковский “СОЛЯРИС” ――そのシーンは冒頭3:09に現われるが、僕としてはオープニング・タイトルのエドワルド・アルテミフ編曲の電子演奏になるバッハのコラール・プレリュード 『イエスよ、わたしは主の名を呼ぶ』(BWV639)を聴いてから見て戴きたい――
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沙河の砂州からの風景――
「……彼は怏々として樂しまず、狂悖(きやうはい)の性は愈〻抑へ難くなつた。一年の後、公用で旅に出、汝水(ぢよすゐ)のほとりに宿つた時、遂に發狂した。或夜半、急に顏色を變へて寢床から起上ると、何か譯の分らぬことを叫びつつ其の儘下にとび下りて、闇の中へ駈出した。彼は二度と戻つて來なかつた。附近の山野を搜索しても、何の手掛りもない。その後李徴がどうなつたかを知る者は、誰もなかつた。……」(中島敦「山月記」)
河畔にてT.S.君の見出した不思議な石――表面線上痕からは明らかに人工の産物だ。水運関連の繋留器だろうか?――僕は勝手に「人虎石」と呼ぶことにした――
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河原の揚葉蝶――沢山の群れだったそうである――
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河原の隅に栽培されていたゴマの花――
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「砂州の手前の堤の南側、林を抜けた向こうに見える汝墳店村です。」(T.S.君の消息文より)
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汝墳店点景――
「汝墳(じよふん)の逆旅(げきりよ)の中に舍(やど)りて、忽ち疾(やまひ)を被(かうむ)りて發狂し、僕者(ぼくしや)を鞭(むち)捶(う)つ。其の苦に勝(た)へず。是に於いて旬餘(じゆんよ)疾(やまひ)益々(ますます)甚(はなはだ)し。何(いくば)くも無くして夜(よ)狂走(きやうそう)し、其の適(ゆ)く所を知る莫(な)し。家僮(かどう)は其の去(きよ)を跡(たづ)ねて之を伺ふ。一月を盡くせども徴は竟(つひ)に囘(かへ)らず。是に於いて僕者は其の嚢橐(なうたく)を挈(たづさ)へて遠く遁れ去れり。」(「人虎傳」)
「炎天のもと、森閑とした真昼時の村内の様子です。」(T.S.君の消息文より)
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汝墳店の雑貨店の主人(左)と客――
『このご主人の話では、現在の汝墳店は汝墳店村がルーツであり、古くは汝墳という名の街道筋の集落であったとのことです。』(T.S.君の消息文より)
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街道と沙河橋――
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村外れの小径――
『……翌年、監察御史、陳郡の袁傪(えんさん)といふ者、勅命を奉じて嶺南に使し、途に商於(しやうを)の地に宿つた。次の朝未だ暗い中に出發しようとした所、驛吏が言ふことに、これから先の道に人喰虎が出る故、旅人は白晝でなければ、通れない。今はまだ朝が早いから、今少し待たれたが宜しいでせうと。袁傪は、しかし、供廻りの多勢なのを恃み、驛吏の言葉を斥けて、出發した。殘月の光をたよりに林中の草地を通つて行つた時、果して一匹の猛虎が叢の中から躍り出た。虎は、あはや袁傪に躍りかかるかと見えたが、忽ち身を飜して、元の叢に隱れた。叢の中から人間の聲で「あぶない所だつた」と繰返し呟くのが聞えた。其の聲に袁傪は聞き憶えがあつた。驚懼の中にも、彼は咄嗟に思ひあたつて、叫んだ。「其の聲は、我が友、李徴子ではないか?」……』
『……叢の中からは、暫く返辭が無かつた。しのび泣きかと思はれる微かな聲が時々洩れるばかりである。ややあつて、低い聲が答へた。「如何にも自分は隴西の李徴である」と。……』(中島敦「山月記」)
「商於」は浙川県の西とも現在の商洛市域内ともある。何れにせよ、この汝墳店から西へ300キロから200数十キロメートルの位置になる。しかし、僕にはこの小径の向こうに――踊り出る虎が――見えるのである……
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T.S.君への手紙。
僕は――やっと僕の故郷へ帰ってきた――そんな不思議に懐かしい気がしています。ありがとう。袁傪。
李徴 こと 藪野直史より
追伸:あなたの沙河の三枚の写真を川の流れに合わせて合成してパノラマにしてみました。
三伸:戴いた一時間足らずで豹変する黄河を撮った12枚に及ぶ組写真も素慄っとするほど素敵だ。これがかの黄河か……特に、この二枚がお気に入りだ――
黄河落日――
黄河雷鳴――
……また、素敵な写真を待っています。(2013年8月13日三伸)
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【2013年8月15日追記】叙述の中で袁傪と李徴の出逢った「商於」の地についての不審を述べたが、これについても昨日、このT.S.君より、詳細な同定考証が舞い込んだ。
僕の『中島敦「山月記」授業ノート』の「第二段 再会 」の冒頭に「・商於の同定について」として追記した。
恐らく、ここまで(衛星写真を用いて場所まで特定されている!)踏み込んだ考証は前人未到と言える。是非、お読み頂きたい。
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