笠島はいづこ五月のぬかり道 芭蕉 萩原朔太郎 (評釈)
笠島はいづこ五月(さつき)のぬかり道
梅雨の降りつづく空の下で、泥濘の道をたどりながら、遠國の旅を漂泊してゐる心境の寂しさがよく歌はれてゐる。
[やぶちゃん注:『コギト』第四十二号・昭和一〇(一九三五)年十一月号に掲載された「芭蕉私見」の中の評釈の一つ。昭和一一(一九三六)年第一書房刊「郷愁の詩人與謝蕪村」の巻末に配された「附錄 芭蕉私見」では、以下のように評釈が異なっている。
笠島はいづこ五月の泥濘(ぬかり)道
芭蕉の行く旅の空には、いつも長雨が降りつづき、道は泥濘にぬかつて居た。前途は遠く永遠であり、日は空に薄曇つて居た。
本句は「奥の細道」に所収する。「笠島」は宮城県名取郡笠島村。現在の名取市愛島(めでじま)。藤中将実方ゆかり地。本句の背景については「芭蕉会議」の根本文子氏の評釈がコンパクトによく纏められてある。]
« 中島敦漢詩全集 十六 | トップページ | 日本その日その日 E.S.モース(石川欣一訳) 第一章 一八七七年の日本――横浜と東京 4 横浜スケッチ »