荒寥地方 萩原朔太郎
荒寥地方
散步者のうろうろと步いてゐる
十八世紀頃の物さびしい裏街の通りがあるではないか
靑や綠や赤やの旗がびらびらして
むかしの出窓に鐵葉(ぶりき)の帽子が飾つてある。
どうしてこんな情感のふかい市街があるのだらう
日時計の時刻はとまり
どこに買物をする店や市場もありはしない。
古い砲彈の碎片(かけ)などが掘り出されて
それが要塞區域の砂の中でまつくろに錆びついてゐたではないか
どうすれば好いのか知らない
かうして人間どもの生活する 荒寥の地方ばかりを步いてゐよう。
年をとつた婦人のすがたは
家鴨(あひる)や鷄(にはとり)によく似てゐて
網膜の映るところに眞紅(しんく)の布(きれ)がひらひらする。
なんたるかなしげな黃昏だらう
象のやうなものが群がつてゐて
郵便局の前をあちこちと彷徨してゐる。
「ああどこに 私の音づれの手紙を書かう!」
[やぶちゃん注:第一書房版「萩原朔太郎詩集」(昭和三(一九二八)年三月刊)のもの。初出は大正一二(一九二三)年一月号『極光』であるが、当該雑誌が見つからず、採集不能、と筑摩版全集の解題にある。先の「沿海地方から」の運命と同様に、後に「定本靑猫」(昭和一一(一九三六)年版畫莊刊)に所収されたものが最終形として人口に膾炙しているようだが(しかも、それは筑摩版全集の消毒済みの恣意的改変物である)、これも全く同様に、真の最終形としての「宿命」(昭和一四(一九二九)年創元社刊)がある。以下に示す(【2022年2月1日修正】国立国会図書館デジタルコレクションの原本画像を視認して修正した)。
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荒寥地方
散步者のうろうろと步いてゐる
十八世紀頃の物さびしい裏街の通りがあるではないか。
靑や赤や黃色の旗がびらびらして
むかしの出窓に鐵葉(ぶりき)の帽子が飾つてある。
どうしてこんな情感のふかい市街があるのだらう!
日時計の時刻はとまり
どこに買物をする店や市場もありはしない。
古い砲彈の碎片(かけ)などが掘り出されて
それが要塞區域の砂の中で まつくろに錆びついてゐたではないか
どうすれば好いのか知らない
かうして人間どもの生活する 荒寥の地方ばかりを步いてゐよう。
年をとつた婦人のすがたは
家鴨(あひる)や鷄鳥(にはとり)によく似てゐて
網膜の映る所に眞紅(しんく)の布(きれ)がひらひらする。
なんたるかなしげな黃昏だらう
象のやうなものが群がつてゐて
郵便局の前をあちこちと彷徨してゐる。
「ああどこに 私の音信(おとづれ)の手紙を書かう!」
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再度、言おう。――この萩原朔太郎の最終決定稿を我々が眼にすることが殆んどないというのは――これは正当にして正統なこと――だろうか?]
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